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香辛料貿易 : ミニ英和和英辞書
香辛料貿易[こうしんりょうぼうえき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

香辛料 : [こうしんりょう]
 (n) spices
: [しん]
 【名詞】 1. 8th in rank 2. eighth sign of the Chinese calendar
: [りょう]
  1. (n,n-suf) material 2. charge 3. rate 4. fee 
貿易 : [ぼうえき]
  1. (n,vs) trade (foreign) 
: [えき]
 【名詞】 1. divination 2. fortune-telling

香辛料貿易 : ウィキペディア日本語版
香辛料貿易[こうしんりょうぼうえき]

香辛料貿易(こうしんりょうぼうえき)は、香辛料ハーブ薬物及びアヘンなどを対象とした、古くから行われていた貿易(交易)のことである〔。アジア圏は古代から香辛料貿易に関わり、古代ギリシャローマとも、ローマ-インドルートと香の道(Incense Route)を通して取引を行った〔Fage 1975: 164〕。ローマ-インドルートはアクスム王国(BC5世紀-AD11世紀)が1世紀以前に開拓した紅海航路を用いるなど海洋国家に依存した。7世紀中頃、発達したイスラム圏エジプトスエズを結ぶ隊商路を遮断してしまうと、アクスム王国(及びインド)は、ヨーロッパ貿易圏から離れてしまった。
アラブの貿易商は、レバント地方とヴェネツィアの商人を通してヨーロッパと取引を続けた。当初は、陸上ルートが香辛料貿易の主要なルートであったが、これは海上ルートによる商業活動の急激な成長にも繋がった〔。中世中期から終わりにかけて、香辛料貿易においてイスラムの貿易商達がインド洋航路を支配し、極東の資源地開発を行った。彼らはインド洋航路を通して、インドの貿易市場から、ヨーロッパへの陸上ルートに繋がるペルシア湾や紅海に向かって香辛料を輸送した。このようにアラブの貿易商達が香辛料貿易を支配したが、1453年オスマン帝国ビザンツ帝国を滅ぼし、地中海の制海権を得ると、これらを通る交易路に高い関税をかけたため、アラブ商人主導の貿易は衰退していく。
大航海時代に入ると貿易は一変する〔。香辛料貿易(特にコショウ)は、大航海時代を通してヨーロッパの貿易商たちの主要な活動となった〔Corn & Glasserman 1999: Prologue〕。1498年ヴァスコ・ダ・ガマ喜望峰経由によるヨーロッパ-インド洋航路を発見し、新しい通商航路を開拓すると、ヨーロッパ人が直接インド洋始め東洋に乗り込んでいった〔。特にポルトガルはいわゆるポルトガル海上帝国を築き、当時の交易体制を主導した。
この大航海時代の貿易(中世の終わりから近世にかけての世界経済〔)は、東洋におけるヨーロッパ優位の時代を作った〔。国家は貿易の支配を目指して香辛料交易路を巡って戦ったが〔、それは例えばベンガル湾航路のように、様々な文化の交流、あるいは文化間の貿易取引を橋渡しする役割も持った〔。だが、ヨーロッパ支配地は発展するのが遅れた。ポルトガルは、自身の影響下にあった古代のルートや港湾、支配の難しい国を用いる交易路に制限や限定を行った。オランダは、(時間はかかるが)インドネシアスンダ海峡と喜望峰を直接結ぶ遠洋航路を開拓してポルトガルの支配する海域を避け、これら多くの問題を回避した。
== 前史 ==

シナモンやカッシア(桂皮)、カルダモンショウガウコンなどの香辛料は、古くから東洋の国々では取引されていた〔spice trade (Encyclopedia Britannica 2002)〕。これらの香辛料は紀元前には中東に届いたが、商人達によって香辛料の正体は秘匿され、空想的な物語が創られた〔。エジプト人は、プント人の土地やアラビアから輸入した香辛料を紅海で取引した〔Rawlinson 2001: 11-12〕。香の道を通して取引された高級品には、インドの香辛料、コクタン、上質の織物などがある〔。香辛料貿易は早くから陸上の交易路が利用されていたが、海上交易路が陸上交易路を発達させる手助けをしたことがわかっている〔。プトレマイオス朝は紅海の港を使用するインドとの貿易を活発化させた〔Shaw 2003: 426〕。
ローマエジプト(アエギュプトゥス)が成立すると、ローマ人は既存の貿易をさらに発達させた〔。ローマ-インドルートは、1世紀より前に紅海ルートを開拓したアクスム王国の海洋技術と貿易力に依存していた。紀元前30年から西暦10年頃にローマとアクスムは交流を始め、アクスムはアラビア海の季節風を利用する交易知識をローマ商人と共有した。この親密な関係は7世紀中頃まで続いた。
紀元前80年には、アレキサンドリアがギリシャ・ローマ圏に入るインド産香辛料の有力な交易の中心地となった〔。インドの船はエジプトに向けて出航した。南アジアの海上貿易ルートは1つの有力な勢力の支配下にあったわけでは無かったが〔Lach 1994: 13〕、東洋の香辛料は様々なシステムを通して、主要な香辛料貿易港であるインドのカリカットに運ばれた。
『The Cambridge History of Africa(ケンブリッジ大学 アフリカの歴史)』(1975)によれば〔

インドとギリシャ・ローマ圏の貿易は増加し続けた〔「ガルッスがエジプト総督であった時代、私は彼に同行してナイル川を遡り、エチオピアとの国境近くのアスワンまで赴いた。私は120あまりの船がミュオス・ホルモス(注:紅海最奧に位置するエジプトの港町)からインドへ向かう予定だと知った。以前のことだが、プトレマイオスの治世下で、一度だけ、わずかな危険を冒してインドの交易品を船で運んだことがある。」(ストラボン II.5.12.); The Geography of Strabo. Vol. I of the Loeb Classical Library edition, 1917. .〕。この貿易においてインドから西方世界に輸出する主な物産は香辛料であり〔Ball 2000: 131〕、絹や他の交易品は無視されていた〔Ball 2000: 137〕。
ジャワ島ボルネオ島などにインドの文化が流入した際には、香料が求められた〔。これら貿易の拠点から、後に中国やアラブの市場にも交易品が供給されるようになった〔Donkin 2003: 59〕。ギリシャの「エリュトゥラー海案内記」には、大きな船が東の''Khruse''に航海していく、いくつかのインドの港を命名している〔Donkin 2003: 64〕。
イスラム教が登場する以前のメッカ人は、ローマとの高級品の貿易で、古いルートである香の道を使用し続けた〔Crone 2004: 10〕。メッカ人が関わった輸出品は、アラビアの乳香、東アフリカの象牙、インド産の香辛料、中国の絹など、変わらない交易品が扱われた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「香辛料貿易」の詳細全文を読む




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