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飯塚翔太 : ミニ英和和英辞書
飯塚翔太[いいづか しょうた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [めし]
 【名詞】 1. (sl) meals 2. food 
: [つか]
 【名詞】 1. mound 

飯塚翔太 : ウィキペディア日本語版
飯塚翔太[いいづか しょうた]

飯塚 翔太(いいづか しょうた、1991年6月25日 - )は、日本陸上競技選手、専門は短距離走静岡県御前崎市出身。藤枝明誠高等学校中央大学卒業、ミズノ所属。
== 経歴 ==
2004年中学1年時のジュニアオリンピックDクラス100mで優勝。2006年3年時のジュニアオリンピックAクラス200mで優勝するなど早くから活躍を見せた。
2007年藤枝明誠高校に入学、10月の国民体育大会少年男子B200mにおいて21秒71の記録で優勝した。肉離れを起こすなど怪我があったものの、2009年8月全国高等学校総合体育大会では100mが10秒46で2位、200mでは21秒01で優勝した〔。10月国民体育大会少年男子A100mを10秒38の記録で優勝した。
2010年4月中央大学に進学する。5月22日、第89回関東学生陸上競技対校選手権大会4×100mリレーにアンカーとして出場。早稲田大学の選手と競り合う状態でスタートしたが飯塚が10mの差をつけ、中央大学が38秒54の日本学生記録を樹立して優勝した〔「「和製ボルト」は18歳 中大1年・飯塚翔太 陸上・関東学生対校選手権」 『朝日新聞』2010年5月24日東京夕刊、スポーツ1面、9頁。〕。翌23日には200mに出場し、江里口匡史安孫子充裕らを直線で交わして優勝した。6月の第94回日本陸上競技選手権大会の参加標準記録を突破していたが目標をカナダモンクトンで開催される世界ジュニア陸上競技選手権大会に絞り、日本学生陸上競技個人選手権大会200mを大会新記録で制した後、世界へと向かった。
2010年7月23日、世界ジュニア陸上競技選手権大会200mに出場し20秒67の記録で優勝した。男子日本選手による同大会での優勝は初めての快挙となった〔「和製ボルト」飯塚翔太、世界ジュニアで「金」 YOMIURIONLINE (2010-07-24). 2010年8月1日閲覧。〕。毎日新聞に掲載された高野進日本陸上競技連盟強化委員長のコメントによると「後半の加速力と器用さがあり、ロンドン五輪に間に合う逸材」と説明されるなど、身長184cm・体重78kgの身体を生かしたレース後半の強さが持ち味である〔〔「陸上:世界ジュニア選手権 二百V飯塚ら、ロンドンへ新戦力 メダル5個、最多タイ」 『毎日新聞』2010年7月27日東京朝刊、運動面、19頁。〕。
2011年4月、2011年世界ジュニア選手権における金メダル獲得が評価され、平成22年度JOCスポーツ賞の新人賞を受賞した〔 (2011-04-16). 2013年11月21日閲覧〕。
2012年6月の日本選手権において100mで4位、200mで2位の成績を残す。この結果を受け200m、400mリレーの2種目でロンドンオリンピック出場が決まった。8月、ロンドンオリンピック200m予選では20.81の3組5着で、準決勝進出を逃した。
男子4×100mリレーでは日本チーム(山縣亮太-江里口匡史-高平慎士-飯塚)の第4走を務め、予選を38秒07の全体4番目の記録で通過。決勝では38秒35で4位入賞を果たした(USA失格、5位→4位に順位繰上げ)。
2013年5月3日、静岡国際200mを日本歴代3位の記録(日本学生新記録)となる20秒21で優勝し、8月に開催される世界選手権の派遣設定記録(日本陸連が定めた20秒29)を突破した〔飯塚、歴代3位の20秒21 派遣記録も突破、静岡陸上 スポニチ Sponichi Annex (2013-05-3). 2013年11月21日閲覧。〕。世界選手権代表内定をかけた6月の日本選手権200mは20秒31のセカンドベストで優勝し〔飯塚、ハイレベルな男子200で初V/陸上 SANSPO.COM (2013-06-10). 2013年11月21日閲覧。〕、日本選手権終了後はヨーロッパに遠征してからユニバーシアードへ向かった。ユニバーシアードは200mで銅メダル、400mリレーは第4走を務めて銀メダルを獲得した〔山県亮太、銀も「満足できない」/ユニバ nikkansports.com (2013-07-13). 2013年11月21日閲覧。〕。7月23日、大学卒業後にミズノへ入社することが発表された〔ロンドン五輪代表の飯塚&ディーン 来春ミズノ入社 スポニチ Sponichi Annex (2013-07-23). 2013年11月21日閲覧。〕。8月、世界選手権に初出場。200mは準決勝に進出するも、20秒61の2組7着で敗退した。400mリレーは第4走(桐生祥秀藤光謙司高瀬慧-飯塚)を務め、予選ではシーズンベストの38秒23で決勝に進出し、決勝では38秒39の6位で2大会ぶり7回目の入賞を果たした(7番目でゴールしたが、イギリスが失格したため6位に繰り上がった)〔日本6位入賞、男子400R決/世界陸上 nikkansports.com (2013-8-19). 2013年11月21日閲覧。〕。9月の日本インカレ100m準決勝で10秒22の自己ベストを記録した〔飯塚翔太が専門外で10秒22/陸上 nikkansports.com (2013-9-7). 2013年11月21日閲覧。〕。10月の東アジア競技大会に飯塚は選手団の主将として出場し〔選手団主将・飯塚「めっちゃ緊張」 nikkansports.com (2013-10-2). 2013年11月21日閲覧。〕、200mはケンブリッジ飛鳥に次ぐ銀メダル〔飯塚2位、ケンブリッジ飛鳥が優勝/東アジア大会 SANSPO.COM (2013-10-7). 2013年11月21日閲覧。〕、400mリレーは第2走(山縣-飯塚-ケンブリッジ-大瀬戸一馬)を務めて大会新記録と日本学生新記録を樹立して優勝した〔日本男子、400リレーで優勝=卓球女子団体は銀-東アジア大会 時事ドットコム (2013-10-9). 2013年11月21日閲覧。〕。
2014年4月、ミズノに入社する。5月にバハマナッソーで行われた世界リレーの4×100mリレーに出場、日本チームのアンカーを務めて5位入賞に貢献し、来年行われる世界選手権同種目の出場権を獲得した〔日本、男子400Mで5位!世界選手権の切符獲得/陸上 サンスポ SANSPO.COM (2014-5-27). 2014年7月17閲覧。〕。6月、日本選手権の200mに出場。連覇と9月のアジア競技大会日本代表入りを懸けて挑んだ。結果は3位に終わり連覇は逃したが、既にアジア競技大会の派遣設定記録Aを突破していたため、入賞で日本代表に内定した〔<陸上日本選手権>男子200 高瀬2位、飯塚3位 静岡新聞 (2014-6-8). 2014年7月17閲覧。〕。同月15日、アメリカ・ニューヨークで行われたダイヤモンドリーグ第6戦のアディダスグランプリ200mに出場し、飯塚の所属するミズノの国際代理人が交渉をまとめてダイヤモンドリーグ初出場を果たしたが結果は21秒04の最下位に終わった〔最高峰の舞台での惨敗 飯塚翔太が語った「ギャップ」と「誓い」 MSN産経ニュース (2014-6-22). 2014年7月17閲覧。〕。10月、アジア大会に出場。200mは4位、4×100mリレーは2走を務め2位に終わった。当日昼に出場を言い渡され、4×100mリレー決勝を走ってから55分後に走ることになった4×400mリレー決勝では、3走を務めて16年ぶりの金メダル獲得に貢献した。
2015年、3月に右太ももを痛めてスタートに出遅れるも徐々に調子を上げていき、6月の日本選手権200m予選で北京世界選手権の参加標準記録(20秒50)を突破した。しかし代表入りをかけて臨んだ決勝では直線の手前で飯塚は右ハムストリングスを痛め失速、最後は歩いてゴールしたものの途中棄権扱いとなり2大会連続の世界選手権日本代表入りを逃してしまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「飯塚翔太」の詳細全文を読む




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