|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 雲 : [くも] cloud ・ 出 : [で] 1. (n,n-suf) outflow 2. coming (going) out 3. graduate (of) 4. rising (of the sun or moon) 5. one's turn to appear on stage ・ 藩 : [はん] 1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures)
雲出藩(くもずはん)は、伊勢国一志郡雲出村(現在の三重県津市雲出本郷町)に存在した藩。 == 概要 == 豊臣氏家臣の蒔田広定が、1万石の大名としてこの地を治めていた。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に与した広定は、毛利秀元や吉川広家らと共に伊勢侵攻の一翼を担ったため、西軍が9月15日の本戦で壊滅すると、高野山に蟄居した。しかし浅野長政・浅野幸長らの尽力もあって早くに罪を許され、本領を安堵されたのである(このときのことは異説が多く、史書によっては改易されたとも、本領安堵されたとも、広定自身が逐電したとも言われており、定かではない)。 慶長10年(1605年)、広定は備中国浅尾藩に移封され、ここに雲出藩は廃藩となり、その所領は富田信高と藤堂高虎の津藩領となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雲出藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|