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阿部重次 : ミニ英和和英辞書
阿部重次[あべ しげつぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

阿部重次 : ウィキペディア日本語版
阿部重次[あべ しげつぐ]
阿部 重次(あべ しげつぐ、慶長3年(1598年) - 慶安4年4月20日1651年6月8日))は、武蔵岩槻藩第2代藩主。徳川家光のもとで老中をつとめる。阿部家宗家2代。
大坂城代を務めた初代藩主・阿部正次の次男。母は佐原義成の娘。正室は三浦重成の娘、継室は松平定勝の娘正寿院。子に定高(長男)、正春(次男)、娘(松平忠倶正室)、娘(松平近陳正室)。官位は山城守、対馬守。
初め、男子に恵まれなかった三浦重成(義次)の婿養子となったが、後に重成に男子(三浦重勝)が生まれたために、重成は重次にの近江国浅井郡3000石の所領を分与し、別家を立てさせた。大坂夏の陣の際には病気の重成に代わって、重次が三浦家を率いて出陣した。(のち、三浦家は重勝死去で断絶となり、重勝の弟の系統が阿部氏の家臣となっている。)
実兄で世嗣の阿部政澄が死去したため阿部家に戻り、相続した。同時期に老中を務めた阿部忠秋とは従兄弟同士で、重次が本家筋にあたる。
元和2年(1616年)7月6日に幕府から改易された松平忠輝(家光の叔父)の子・徳松を預かるが、重次に冷遇された徳松自身は1632年に焼身自殺する事件を起こしている。
主君の家光はしばしば日光東照宮に社参しているが、江戸からの1泊目が岩槻にあたり、岩槻城主である重次が接待にあたっている。慶安4年(1651年)、家光が死去すると殉死した(同日、堀田正盛も殉職)。
家督は長男・定高が継いだ。

== 経歴 ==

*寛永10年(1633年) 3月23日、六人衆となる
*寛永15年(1638年) 4月22日、5万9000石をもって岩槻藩主となる
*寛永15年(1638年)11月7日、老中に任ぜられる
*正保4年 (1647年)11月14日、父・正次、大坂城において死去
*慶安元年(1648年) 7月18日、父の遺領をあわせて9万9000石を領する
*慶安4年 (1651年) 4月20日、将軍家光の死去にともなって殉死
辞世は「天てらす月のひかりともろもろに 行すへすゞし曙のそら」。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「阿部重次」の詳細全文を読む




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