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阿波藩 : ミニ英和和英辞書
阿波藩[はん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なみ]
 【名詞】 1. wave 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

阿波藩 ( リダイレクト:徳島藩 ) : ウィキペディア日本語版
徳島藩[とくしまはん]
徳島藩(とくしまはん)は、阿波国徳島県)・淡路国兵庫県淡路島)の2国を領有した。藩庁は徳島城(徳島県徳島市)に置かれた。藩主は外様大名蜂須賀氏。支藩として一時、富田藩があった。
== 略史 ==
豊臣秀吉股肱の臣で播磨国龍野を領していた蜂須賀正勝は、天正13年(1585年)の四国征伐の後に阿波国を与えられたが、高齢を理由に嗣子の家政に家督を譲った。入封当時の石高は17万5千石で、板野郡の一部が他領であり、阿波一国ではなかった。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、家政は西軍により強制的に出家させられた上で高野山に追放され、阿波国は毛利家の軍勢が進駐して、その管理下に置かれた。その一方、妻が小笠原秀政の娘で徳川家康の養女(万姫)である嗣子の至鎮は会津征伐に従軍しており、9月15日の本戦では東軍として参加した。この結果、戦後改めて至鎮に旧領が安堵されることとなった。この時より実質的に徳島藩が成立したと言える。至鎮は大坂の役において、2代将軍徳川秀忠より7つもの感状を受ける働きをした。これにより淡路一国8万1千石を与えられ、25万7千石を領する大封を得た。
吉野川流域ではの生産が盛んで、特に10代重喜の時代になると徳島の藍商人は藩の強力な後ろ盾により全国の市場をほぼ独占するに至った。藍商人より上納される運上銀冥加銀は藩財政の有力な財源となった。領石高25万石と言われているが、実際には阿波商人が藍、たばこ、塩などで得た利益を合算すると四十数万石になるともいわれている。
1871年明治4年)、廃藩置県により徳島藩は徳島県となった。その後名東県を経て、一旦は高知県に編入された。この時、淡路島は兵庫県に編入された。1880年明治13年)に徳島県として再び分離された。1884年明治17年)、蜂須賀家は侯爵となり華族に列した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tokushima Domain 」があります。




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