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関の五本マツ : ミニ英和和英辞書
関の五本マツ[せき, ぜき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
: [ご]
  1. (num) five 
五本 : [ごほん]
 【形容詞】 five (long cylindrical things)
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

関の五本マツ : ウィキペディア日本語版
関の五本マツ[せき, ぜき]

関の五本マツ(せきのごほんマツ)は、島根県松江市美保関町に生育していたクロマツ巨木5本の総称である〔『天然記念物事典』、103-104頁。〕〔高島、69頁。〕。美保関の港に近い山の上に5本のマツが並んで生えていて、港に出入りしたり隠岐に通ったりする船頭や漁師たちの目標となっていた〔高島、296頁。〕。このうち1本は、早くに枯死したとも通行の邪魔になったため伐採されたともいわれる〔〔〔〔。失われたマツを惜しんで地元の人々が歌った歌が民謡『関の五本松』であるとの伝承があり、小泉八雲もその著書『日本瞥見記』で関の五本マツと歌について言及を残している〔〔小泉、280-281頁。〕〔高島、289頁。〕。残った4本のマツは1943年(昭和18年)に国の天然記念物に指定されたが、台風などによる倒伏が相次いで1本にまで減少したため、1971年(昭和46年)に指定解除となった〔〔〔『天然記念物事典』、348頁。〕〔『史跡 名勝 天然記念物指定目録』、280頁。〕。その後、残りの1本も伐採されて現存しない。本項では、民謡『関の五本松』についても解説する。
== 由来 ==

=== 木の来歴と伐採まで ===
美保関は島根半島の突端に位置し、古くから名の知られた港町である〔榊原、316-317頁。〕。このマツは、美保関港を西側に見下ろす標高100-130メートルほどの山の稜線に5本そろって生育していた〔〔〔。港に出入りしたり隠岐に通ったりする船頭や漁師たちが、航路の目標として親しんだマツであった〔〔。そのうち1本は早くに強風で根こそぎになって枯死したとも、美保神社へ参拝する当地の領主によって通行の妨げになるとして伐採されたとも伝わる〔〔〔。
4本のマツは、稜線沿いに西北から東南の方向に並んでいた〔。最大のマツは樹高が25メートル、根回り14メートル、目通り幹囲4.30メートルを測っていた〔。4本のマツは、1943年
(昭和18年)8月24日に国の天然記念物に指定され、指定当時の樹齢はみな約350年と推定されていた〔〔〔。
第二次世界大戦後の1958年(昭和33年)に、伊勢湾台風の被害に遭って1本が倒伏した〔〔。このとき倒伏したマツは、樹齢が約400年のものであった〔。その後1970年(昭和45年)8月の台風によって、さらに1本が倒れた〔。同年11月にも台風の被害に遭って、1本が真っ二つの状態に折られた〔〔。
古くから知られた関の五本マツも残り1本となって、1971年(昭和46年)10月8日に国の天然記念物指定が解除された〔〔〔〔。残っていた1本も、危険防止のため2000年(平成12年)に伐採された〔。翌年4月に美保関地区観光協会は原木の一部と切り株を記念のモニュメントとして残し、五本松公園内に展示している〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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