翻訳と辞書
Words near each other
・ 重松鶴之助
・ 重松鷹泰
・ 重核子
・ 重核子爆弾
・ 重根
・ 重根 (多項式)
・ 重根駅
・ 重森三玲
・ 重森孝子
・ 重森完途
重森弘淹
・ 重森暁
・ 重森由佳
・ 重機
・ 重機人間
・ 重機人間ユンボル
・ 重機動メカ
・ 重機操縦士免許
・ 重機甲乙女 豆だけど
・ 重機甲兵ゼノン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

重森弘淹 : ミニ英和和英辞書
重森弘淹[しげもり こうえん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [もり]
 【名詞】 1. forest 

重森弘淹 : ウィキペディア日本語版
重森弘淹[しげもり こうえん]

重森 弘淹(しげもり こうえん、1926年7月27日 - 1992年10月13日)は写真評論家
作庭家重森三玲の二男として京都市に生まれる。名前はドイツの哲学者ヘルマン・コーエンに由来。同志社大学文学部卒業後、1949年「いけばな芸術」の編集長となり、勅使河原宏らとともに、流派を超えた新しいいけばなの方向を模索し始めた。
一方、岡本太郎花田清輝らの結成した「夜の会」、安部公房らによる「記録芸術の会」などに参加し、総合的な芸術への視野に立った活動を始めた。1955年頃から、カメラ雑誌を中心に写真の評論活動を開始し、当時隆盛をきわめていた「リアリズム写真運動」を批判的に継承しつつ、東松照明奈良原一高らによる新しい写真表現の登場を支持し、さらに現代写真の始まりを告げるウィリアム・クライン、ロバート・フランクらの仕事をいち早く紹介、評論するなど、日本の現代写真の動向に大きな影響を与えた。
1958年「東京フォトスクール」を創立、1960年東京綜合写真専門学校と名称を変えて発展させ、自らの写真美学や批評精神を展開しつつ、写真家の育成に情熱を注いだ。
批評家であると同時に教育者である重森弘淹の基本的な思想は、『表現とは、作者の批評行為であり、それなくして表現は存在しない』というものだった。この思想が東京綜合写真専門学校の理念として引き継がれ、多くの先鋭的で個性的な写真家を輩出し続けている。
日本写真批評家協会会員、東京綜合写真専門学校校長、多摩美術大学客員教授、武蔵野美術大学客員教授、日本映像学会常任理事を経て、1992年没。
==主要著書==

*現代の写真/社会思想社/1962年
*写真芸術論/美術出版社/1967年
*写真の思想/潮出版/1972年
*カメラ・アイ 転形期の現代写真/日貿出版社/1974年
*現代のいけばな/八坂書房/1980年
*世界の写真家/ダヴィッド社/1990年
*名作で辿る世界の写真史/編著/毎日新聞社/1993年
*『日本写真全集』の編纂も行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「重森弘淹」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.