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岡本太郎 : ミニ英和和英辞書
岡本太郎[おかもと たろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

岡本太郎 : ウィキペディア日本語版
岡本太郎[おかもと たろう]

岡本 太郎(おかもと たろう、1911年明治44年)2月26日 - 1996年平成8年)1月7日)は、日本芸術家。血液型はO型〔新潮社「岡本太郎が、いる」"フェミニスト・自由人"より〕。
1930年昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも交流(ただし合流はしていない)した。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画立体作品を制作するかたわら、縄文土器論沖縄文化論を発表するなど文筆活動も行い、雑誌やテレビなどのメディアにも1950年代から積極的に出演した〔テレビ出演の映像は今日もビデオアーカイブなどで見ることができる。〕。
== 経歴 ==

=== 少年時代 ===
太郎は神奈川県橘樹郡高津村大字二子(現・神奈川県川崎市高津区二子)で、漫画家岡本一平歌人作家かの子との間に長男として生まれる。父方の祖父は書家の岡本可亭であり、北大路魯山人の師匠であった。
父・一平は朝日新聞で"漫画漫文"という独自のスタイルで人気を博し〔夏目漱石の推薦によるという。〕、「宰相の名は知らぬが、岡本一平なら知っている」と言われるほど有名になるが、付き合いのため収入のほとんどを使ってしまうほどの放蕩ぶりで、家の電気を止められてしまうこともあった。
母・かの子は、大地主の長女として乳母日傘で育ち、若いころから文学に熱中。 世間知らずのお嬢さん育ちで、家政や子育てが全く出来ない人物だった。太郎が3~4歳の頃、かまって欲しさに創作の邪魔をすると、かの子は兵児帯でタンスにくくりつけたというエピソードがある。また、かの子の敬慕者で愛人でもある堀切茂雄を一平公認で自宅に住まわせていた。一平には創作の為のプラトニックな友人であると弁明していたが、実際にはそうではなかったという。放蕩三昧の生き方をひと頃していた一平は容認せざるを得なかった。後に太郎は「母親としては最低の人だった。」と語っているが、生涯、敬愛し続けた。
家庭環境の為か、太郎は 1917年大正6年)4月、東京青山にある青南小学校に入学するもなじめず一学期で退学。その後も日本橋通旅籠町の私塾・日新学校、十思小学校へと入転校を繰り返した。慶應義塾幼稚舎で太郎の理解者となる教師、位上清に出会う。クラスの人気者となるも、成績は52人中の52番だった。ちなみにひとつ上の51番は後に国民栄誉賞を受賞した歌手の藤山一郎で、後年太郎は藤山に「増永(藤山の本名)はよく学校に出ていたくせにビリから二番、オレは殆ど出ないでビリ、実際はお前がビリだ」と語ったという。
絵が好きで幼少よりさかんに描いていたが、中学に入った頃から「何のために描くのか」という疑問に苛まれた。慶應義塾普通部を卒業後、画家になる事に迷いながらも、東京美術学校へ進学した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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