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道鏡 : ウィキペディア日本語版
道鏡[どうきょう]

道鏡(どうきょう、文武天皇4年(700年)? - 宝亀3年4月7日772年5月13日))は、奈良時代法相宗の僧。物部氏の一族の弓削氏の出自で、弓削櫛麻呂の子〔鈴木真年『諸系譜』(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)〕。
孝謙天皇に仕え、寵愛を受けたとされる。
俗姓が弓削連であることから、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とも呼ばれる。兄弟に弓削浄人天智天皇の皇子である志貴皇子の子とする異説もある〔『僧綱補任』、『本朝皇胤紹運録』など。『公卿補任』でも一説としてあげている。なお、太田亮『姓氏家系大辞典』では、天智天皇皇孫説を誤りと断じている。〕
== 略伝 ==

=== 朝廷での出世 ===
文武天皇4年(700年)に 河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)に生まれた。若年の頃、法相宗の高僧・義淵の弟子となり、良弁から梵語(サンスクリット語)を学んだ。に通じていたことで知られており、これにより内道場(宮中の仏殿)に入ることを許され、禅師に列せられた。
天平宝字5年(761年)、平城宮改修のため都を一時近江国保良宮に移した際、病を患った孝謙上皇(後の称徳天皇)の傍に侍して看病して以来、その寵を受けることとなった。淳仁天皇は常にこれについて意見を述べたため、孝謙上皇と淳仁天皇とは相容れない関係となった。天平宝字7年(763年)に少僧都に任じられ、翌年天平宝字8年(764年)には藤原仲麻呂の乱太政大臣藤原仲麻呂が誅されたため太政大臣禅師に任ぜられた。翌年には法皇となり、仏教の理念に基づいた政策を推進した。
道鏡が関与した政策は仏教関係の政策が中心であったとされている。
道鏡の後ろ盾を受け、弟の浄人が8年間で従二位大納言にまで昇進するなど、一門で五位以上の者は10人に達した。これが道鏡が僧侶でありながら政務に参加することに対する反感も加わって、藤原氏等の不満が高まり確執した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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