翻訳と辞書
Words near each other
・ 逸文
・ 逸早く
・ 逸書
・ 逸材
・ 逸架ぱずる
・ 逸楽
・ 逸楽生活
・ 逸機
・ 逸民
・ 逸然
逸然性融
・ 逸物
・ 逸球
・ 逸美奈々子
・ 逸翁
・ 逸翁美術館
・ 逸聖尼師今
・ 逸聖王
・ 逸聞
・ 逸脱


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

逸然性融 : ウィキペディア日本語版
逸然性融[いつねん しょうゆう]

逸然 性融(いつねん しょうゆう、1601年万暦29年8月1日)- 1668年寛文8年7月14日))は、中国・末に日本に渡来した僧である。俗姓は李氏。逸然は、性融は法諱である。浪雲庵王・烟霞比丘・煙霞道人とする。
隠元隆琦を日本に招聘し黄檗宗の発展に尽くした。また画僧としても知られ羅漢図・神仙図などの仏画・人物図を得意とした。北宗画風の新様式を伝え長崎漢画の祖(唐絵の祖)とされる。門弟に河村若芝渡辺秀石らがいる。
== 生涯 ==

浙江省杭州府銭塘県の生まれ。
1641年寛永18年)、商売を目的として来日する。
1644年正保元年)、長崎興福寺黙子如定の許で仏門に入った。翌年には、黙子が隠退し、第3代住持の座を継承した。
1652年承応元年)、無心性覚の懇願により、隠元を招請した。結果、4次にわたる招請状の往還の末、1654年(承応3年)7月に、隠元の来日が成った。逸然はこれを慶び以降、引首印に「請法東伝」の語句を刻み書画に捺した。
隠元が渡来すると、逸然は、興福寺の住持を隠元に移譲した上で、自身は監寺と就ったが、翌年、隠元が摂津国普門寺に移転したため、住持に復帰した。
1656年明暦2年)、澄一道亮に住持の座を譲り、幻寄山東盧庵に隠退した。
1657年(明暦3年)には、『隠元語録』と『五灯厳統』(費隠通容撰)を板行した。
1667年(寛文7年)7月、興福寺で没した。享年68。墓所も興福寺後山にある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「逸然性融」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.