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近藤政成 : ミニ英和和英辞書
近藤政成[こんどう まさなり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

近藤政成 : ウィキペディア日本語版
近藤政成[こんどう まさなり]

近藤 政成(こんどう まさなり)は、江戸時代初期の大名堀秀政の四男。
慶長5年(1600年)に徳川家康に拝謁して小姓となり、慶長9年(1604年)、養父の近藤重勝から越後蔵王堂の遺領1万石を継ぐ。慶長15年(1610年)、堀忠俊改易された際に領地を信濃国高井郡美濃国安八山県石津中島郡の内に替地され、近藤藩が成立した。
大坂の陣に従軍、永井直勝の隊に属し戦功を挙げる。しかし、元和4年(1618年)に31歳で死去した。
長男の重直は7歳であったため、12月16日、幼少を理由に半知減封となり5000石のみを相続し、伊那郡立石村(現在の長野県飯田市)に知行所を構え交代寄合となる。伯父の下野烏山藩堀親良が後見役を命ぜられ、残りの美濃4郡5000石を賜った。
== 出典 ==

*「寛政重修諸家譜 巻第846」




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「近藤政成」の詳細全文を読む




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