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辛徳源 : ミニ英和和英辞書
辛徳源[からしとくげん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
 【名詞】 1. 8th in rank 2. eighth sign of the Chinese calendar
: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 

辛徳源 : ウィキペディア日本語版
辛徳源[からしとくげん]
辛徳源(辛德源、しん とくげん、生没年不詳)は、北斉からにかけての学者は孝基。本貫隴西郡狄道県
== 経歴 ==
辛子馥の子として生まれた。若くして学問を好み、文章を得意とした。北斉の尚書僕射の楊愔や殿中尚書の辛術らに見出されて、文宣帝に推挙された。奉朝請を初任とし、後に員外散騎侍郎を兼ねて、南朝に対する副使をつとめた。馮翊王記室・華山王記室を歴任した。中書侍郎の劉逖の推薦を受けて、員外散騎侍郎となり、比部郎中に累進し、通直散騎常侍を兼ねた。南朝に対する使者をつとめ、帰還すると、文林館で詔を待ち、尚書考功郎中に任ぜられ、中書舎人に転じた。北斉が滅ぶと、北周に仕えて宣納上士となった。相州を訪れて、尉遅迥の乱に巻き込まれ、その下で中郎となった。
隋が建国されると、長い間召されることがなく、林慮山に隠れて、志を得なかった。「幽居賦」を著したが、取り上げられなかった。徳源は武陽郡太守盧思道と親しく、互いに往来していた。魏州刺史の崔彦武がこの交際をとがめて上奏したため、徳源は南寧に流されて従軍させられた。1年あまりして帰還した。秘書監牛弘の推挙を受けて、王劭とともに修国史をつとめた。官務の暇を縫って『春秋三伝集注』30巻、『揚子法言注』23巻を撰した。蜀王楊秀に召されて、数年その下にあり、掾となった。後に諮議参軍に転じ、在官のまま死去した。『辛徳源集』20巻があり、また『政訓』・『内訓』各20巻があった。
子に辛素臣・辛正臣があり、ともに学問で知られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「辛徳源」の詳細全文を読む




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