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足手荒神 : ミニ英和和英辞書
足手荒神[あしてこうじん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あし]
 【名詞】 1. foot 2. pace 3. gait 4. leg 
: [て]
 【名詞】 1. hand 
手荒 : [てあら]
  1. (adj-na,n) violent 2. rough
荒神 : [こうじん]
 (n) god of a cooking stove
: [かみ]
 【名詞】 1. god 

足手荒神 : ウィキペディア日本語版
足手荒神[あしてこうじん]

足手荒神(あしてこうじん)は、手足の神様である。民間信仰を起源とし、手足の病気や怪我に悩む者がその快癒を祈願するもので〔『日本の神仏の辞典』21頁〕〔伊藤『宴と日本文化』130-131頁、伊藤「日本社会におけるアニミズム的汎神論の世界」 180-181頁は、「民衆生活のなかから生まれた小さな神がみ」として、疣石さま、耳神、腰神とともに足手荒神を挙げる。〕、信仰の特徴として手型や足型を奉納することが見られ〔『日本の神仏の辞典』21頁をはじめ、後掲する各所の足手荒神についての文献。〕、中にはギプス松葉杖などを奉納するものもある〔例えば、今村『日本の民間医療』79頁は別府市南立石の手足荒神の奉納品として松葉杖を挙げ、『九州の民間信仰』245頁に掲載の「竹田市拝田原の足手荒神」の写真には奉納された複数の松葉杖が写り、『竹田市史 下巻』346-347頁は豊岡地区天神にある足手荒神の奉納品としてギプス・松葉杖を挙げる。〕。他人が奉納した手型、足型で患部をなでる例もある〔『九州の民間信仰』186頁〔牛島盛光執筆〕、牛島『図説日本民俗誌』91頁〕。
信仰される地域は、秋田県福岡県熊本県大分県などで、四国に及んでいるとの報告もある。熊本県嘉島町甲斐神社(中郡甲斐神社)、熊本県大津町の西鶴甲斐神社〔 『熊本県神社誌』163頁、『大津町史』1131頁〕や、熊本県八代市医王寺〔『全国寺院名鑑』203頁、『熊本県の地名』728頁、『角川日本地名大辞典 熊本』121頁、『日本名刹大事典』24頁、『神社・寺院名よみかた辞典』432頁〕は、「足手荒神」と通称されている。熊本の玉名市、大分の大分市別府市などでは「手足荒神」と言う。
== 信仰の対象 ==
熊本県八代市の医王寺や、熊本県阿蘇市西巌殿寺には、足手荒神として青面金剛が祀られているという〔医王寺の青面金剛が足手荒神として祀られていることについては、医王寺の庚申碑と青面金剛堂(市指定) - 八代市公式ホームページ 白雲山 医王寺 - 九州八十八ヶ所百八霊場会 。『角川日本地名大辞典 熊本』121頁には、青面金剛堂は足手荒神として参拝者が多いとある。なお、医王寺再興後の住職は玄竜という修験者であった。内部リンク先参照。〕〔窪『庚申信仰の研究』452頁は、西巌殿寺で足手荒神として祀られている石像は青面金剛で、「豪照」「豪海」という修験者らしき名が彫ってあるとする。〕。青面金剛は、庚申信仰本尊であり、病魔退散の力を有するとされているものである〔大辞泉【青面金剛】 〕。
一方で、西巌殿寺の足手荒神はお鏡石という丸い霊石が信仰の対象で、大分県竹田市飛田川や熊本県小国町の足手荒神などはこの分霊で、信仰圏は大野郡、直入郡、さらに宇和海を渡り四国にまで及ぶとの報告もある〔。
熊本市中央区にある本覚寺境内の足手荒神では、22世住職が掘り出したという五輪塔の丸石を祀り〔境内 - 六角堂観音本覚寺 〕、玉名市岱明町の手足荒神では、五輪塔の石を寄せ集めた六輪塔をご神体とする〔『岱明町史』1377頁〕。
熊本県山鹿市の宗泉寺では、「足手三宝大荒神」を祀り〔高野山 宗泉寺について 〕、八代市の医王寺についても、三宝荒神の文字と梵字が刻まれ、荒神の祭りが庚申祭りであるとの民俗学者による記録があり〔丸山『熊本県民俗事典』271頁〕、三宝荒神信仰との結びつきも見られる。
手足を負傷して死んだという武将甲斐親英(宗立)を祀る熊本県嘉島町の甲斐神社は足手荒神の総本社と称し、熊本県和水町菊池市下古閑集落の足手荒神、熊本県大津町の西鶴甲斐神社、荒尾市の府本甲斐神社、熊本県美里町の砥用甲斐神社(現在廃社)などは、この分霊を勧請したものという。
もっとも、同じ熊本の中でも、旧飽託郡の足手荒神について、手足の疾病のため敵に追いつかれて落命した託麻某という武士の後身であるとする、甲斐宗立とは別の伝来も報告されている〔赤峯「同情悲願の御利益」 〕〔旧飽託郡内の足手荒神としては、熊本県熊本市西区河内町野出にある「足手大荒神」が地図上に確認できるが、託麻某の伝来をもつ足手荒神との関連は不明。〕。
また、別府市南立石の「手足荒神」は、やはり手足の疾病平癒を祈願し、手型足型を奉納するという信仰であるが、これにも手足を痛めていて不覚をとった武士についての由緒があり、概略は次のようなものである〔矢島「改訂 石垣原合戦の史跡について」 74頁〕。慶長5年(1600年)、九州関ヶ原と言われる石垣原の戦い黒田如水大友義統)の前日の夜半、斥候中に崖から落ち、手足を骨折した黒田方の侍〔坂石「「石垣原合戦」余話」46頁 は、松井康之(黒田如水と合流し、大友勢と戦った)の家臣とする。〕が大友の兵に捕らえられた。侍は、『手を挫かずば、お前共の手に掛かる者ではない。切って手柄にせよ。死して百年の後まで、魂はこの世にとどまり、手足を挫いた者を救うであろう』と言い残し斬首された。哀れんだ大友の将・吉弘統幸が侍を手厚く埋葬したとの伝説、この合戦で傷を負った兵がこの地で傷を癒したとの伝説があり、手足を挫いた者がここを参詣すると不思議に治ることから、祠を建て「手足荒神」として信仰されるようになったのだという。元は個人の屋敷神であったらしいが〔〔今村『日本の民間医療』79頁や『九州・沖縄の民間療法』148頁〔小玉洋美執筆〕によれば、元は大木の根方に祀られていたという。〕、その信仰圏は大分方面や速見郡などに広がっているとされる〔。
大分県九重町の二日市足手荒神社は、少彦名神などを祭神とし、薬師如来が刻まれた室町時代のものと推定される石造宝塔をご神体とする〔大分合同新聞 平成3年7月9日 朝刊13頁、『生きている民俗探訪 大分』108頁、『九重町誌 下巻』816頁〕。少彦名神も薬師如来も、医薬の神仏とされるものである〔大辞泉【少彦名神】 大辞泉【薬師如来】 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「足手荒神」の詳細全文を読む




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