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設楽貞通 : ミニ英和和英辞書
設楽貞通[したら さだみち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たのし, らく]
  1. (adj-na,n,n-suf) comfort 2. ease 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

設楽貞通 : ウィキペディア日本語版
設楽貞通[したら さだみち]
設楽 貞通(したら さだみち、天文3年(1534年) - 慶長元年(1596年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。「貞道」とも。
通称・小四郎、甚三郎または神三郎。ただし、「設楽神三郎」という同姓同名(設楽清政(能久)の人物としばし混同される。
官は越中守、三河設楽郡川路城主。設楽貞重の養子。室(妻)は設楽郡広岩城主にして設楽郡惣領職であった設楽清広の娘。
設楽氏一族は、駿河今川家に仕えていたが、今川氏真の代になった永禄四年(1561年)に、菅沼氏・西郷氏(貞通と「豊川三人衆」)らと、これに背き、三河徳川家に通じた。
以後は、その傘下となり、永禄6年(1563年)の三河一向一揆では岡崎城にあって徳川勢の一翼を担った。
翌7年(1564年)、今川方の東三河の拠点吉田城を、下條の白井、二連木(豊橋市)の戸田の軍勢とともに攻めた。
元亀4年(1573年)の武田信玄による野田城の戦いでは、継室の実家である野田菅沼氏の菅沼定盈を支援すべく、手勢を率いて野田城に籠もる。この時、笛の名手・村松芳休と親しかったとも言われ、とくに徳川家の記録に記される鉄砲(信玄砲として現在でも保存されている)による狙撃説・武田信玄死因にも関わっているという説が新たに取りざたされている。
天正2年(1574年)、本家で反松平派の設楽清政(神三郎)と抗争。清政が出奔し、その領地は貞通が相続した(その後、清政は北条氏直に仕えた。貞通がいっとき北条氏に仕えたとの説は誤りの可能性大。)。
天正3年(1575年)の長篠の戦いでは、酒井忠次率いる鳶ヶ巣山陣地への奇襲部隊に加わり、500兵と50挺の鉄砲で樋田に陣を構えた。鳶ヶ巣山陣地奇襲は成功し、敗走する武田軍の退路を断った設楽貞通は武田の敗残兵を討ったという。
設楽原古戦場の、いろはかるたには、「樋田(といだ)にて 退路をたちし 設楽貞通」とある。
慶長元年(1596年)12月27日、文禄・慶長の役のさなかに死去した。
嫡男の貞清は、1590年の家康「関東移封」に父貞通と共に従い、武蔵国埼玉(埼玉県加須市)に1500石の知行地が与えられた。その子の貞代の代には2150石。
二男の貞信は、小牧・長久手の戦い小田原征伐関ヶ原の戦い大坂の陣に従った。竹広(愛知県新城市)に七百石の知行地が与えられ、上野国の七百石と併せて1400石。その子の貞政は大阪町奉行。その子孫には、岩瀬忠震がいる。
四男の貞則の子孫には、設楽貞雄がいる。
貞通は、その為人(ひととなり)は深沈(沈着冷静)、有大度(大きな度量あり)。小四郎、甚三郎、神三郎・越中守。実は加茂郡足助城主鈴木日向守重成(の)次男にて設楽雅楽介貞重の養子トナル。幼名(は)小四郎。設楽越中守清広ノ聟(むこ)タリ。家康公の御従妹(年下の女のいとこ)市場殿ノ甥ナリト云。多く(は)足助ニ住ス。兵役(派兵要請)アル毎ニ家康公ノ命ヲ蒙(こうむり)、越中守清広ノ手ニ属シテ屡々(しばしば)軍功アリ。越中守清広(の)卒後(死後)、其(の)子神三郎清政(は)幼稚タルニ寄テ、家康公ノ命ヲ蒙リ、後見タラシメ(後見人となり)、設楽家累代ノ領地ヲ頒テ(分けて)共ニ領セリ。其(の)後、貞通ノ威力(は)自(おのず)カラ以テ神三郎清政ヲ推シ傲然(ごうぜん)トシテ徳川公ニ奉仕ス。清政長ル(成長する)ニ及テ是(貞通の徳川公奉仕)ヲ憤リ(憤慨し)、其(の)後(貞通と清政に)争論アリ。天正二戌年(に)清政(は)、設楽家伝来ノ系図其(の)外(の)重器(宝物)ヲ持(ち)テ武州(武蔵国)ニ赴ク。貞通(は)竟(つい)ニ設楽家ヲ相続シ其(の)領地ヲ併(併有)ス。此年(天正二年)貞通(は)、(加茂郡)足助ヨリ(設楽郡)川路ニ転(転居)ス。猶(なお)譜書(と)証合(照合の)事。前妻(は)、設楽越中守清広(の)女(息女)。後妻(は)、菅沼織部正定則(の)女((息女))、素明禅定尼。

== 参考文献 ==

*寛政重修諸家譜
*徳川家康家臣団の辞典
*戦国三河国人名辞典

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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