翻訳と辞書
Words near each other
・ 西端やよい
・ 西端ブロー工業
・ 西端幸雄
・ 西端弥生
・ 西端県
・ 西端藩
・ 西端越方言
・ 西竹の塚
・ 西竹一
・ 西竹鼻駅
西笑承兌
・ 西笠松駅
・ 西笠田駅
・ 西筑摩郡
・ 西箕輪
・ 西箕輪中学校
・ 西箕輪村
・ 西篠崎
・ 西米沢駅
・ 西米良中学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

西笑承兌 : ミニ英和和英辞書
西笑承兌[さいしょうじょうたい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [だ]
 (n) exchange

西笑承兌 : ウィキペディア日本語版
西笑承兌[さいしょうじょうたい]

西笑 承兌(さいしょう じょうたい、天文17年(1548年) - 慶長12年12月27日1608年2月13日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての臨済宗。相国寺承兌とも呼ばれる。は月甫、南陽〔「講談社 日本人名大辞典」〕。
山城国伏見(京都市伏見区)の人。豊臣秀吉徳川家康の顧問的役割を務め、特に諸法度や外交文書の起草、学問奨励策や寺社行政の立案や、法要などの仏事の運営に重要な役割を果たした。
== 生涯 ==
天文17年(1548年)に生まれる。幼い時に出家し、はじめ一山派の仁如集堯1483年 - 1574年)らに参禅して学び、天正12年(1584年)に荒廃していた相国寺に住する。中華承舜の嗣法となって夢窓派に転じ、相国寺を再建、相国寺中興の祖と呼ばれる。翌年には鹿苑僧録となった。
その後、南禅寺に入ったが、再度鹿苑僧録となり、豊臣秀吉の政治顧問となる。豊臣秀次豊臣秀頼とも親交を持った。
文禄の役後の講和交渉では、秀吉の前で明使からの冊封状を読み上げたという逸話でも知られる。
慶長5年(1600年)には、徳川家康の命を受けて上杉家との交渉に当たった。この時、承兌あてに直江兼続から送られたとされる手紙が、後世にいう直江状である。
慶長12年(1608年)に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西笑承兌」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.