翻訳と辞書
Words near each other
・ 西尾修
・ 西尾健治
・ 西尾優
・ 西尾光一
・ 西尾光教
・ 西尾公伯
・ 西尾利氏
・ 西尾劇場
・ 西尾勝
・ 西尾口駅
西尾吉次
・ 西尾和美
・ 西尾哲夫
・ 西尾嘉教
・ 西尾城
・ 西尾塁
・ 西尾壽造
・ 西尾夕紀
・ 西尾大介
・ 西尾太作


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

西尾吉次 : ミニ英和和英辞書
西尾吉次[にしお よしつぐ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

西尾吉次 : ウィキペディア日本語版
西尾吉次[にしお よしつぐ]

西尾 吉次(にしお よしつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名武蔵原市藩主である。横須賀藩西尾家初代。
== 生涯 ==
享禄3年(1530年)、三河国東条城主吉良持広の子として生まれる。初名は義次。持広は松平清康の妹を妻に迎えて勢力維持をはかったが、天文4年(1535年)清康が世にいう森山崩れで横死。三河は今川氏と織田氏の勢力の狭間となり、苦境に立たされた東条吉良、西条吉良の両家は反目しあっていたが和睦した。義次は幼少の為、東条吉良家には、西条吉良家から吉良義堯の子義安が養子として迎えられた。義次は織田信長への人質として送られ、桶狭間の戦いを経て信長に仕えることとなる。以後安土城築城の石奉行、対武田戦に備えての徳川氏への兵糧搬入や、検使役を務め、長篠の戦いにも参加している。
天正10年(1582年)、徳川家康の饗応役を命じられ、本能寺の変が起こるとこれを急報し、護衛をして伊賀越えを決行、家康を無事に送り届け、そのまま家康の家臣になった。この功により天正14年(1586年)、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)より「吉」の字の偏諱を受けて吉次と改名した。天正18年(1590年)、家康の関東移封にともない武蔵国足立郡原市に5000石の所領を与えられ、慶長4年(1599年)に従五位下隠岐守に叙任された。関ヶ原の戦いで旗本備として功をたて、1602年に美濃国内で7000石加増され、原市藩を立藩する。慶長11年(1606年)伏見で死去、娘婿の忠永が家督を継いだ。享年77。
吉次の再興した菩提寺妙厳寺(埼玉県上尾市)には信長より拝領した永楽通宝紋鞍と鐙があり、平成10年(1998年)に埼玉県指定有形文化財に指定されている。『新編武蔵風土記稿』には、「吉次ゆかりの品」との記載があり、長い間所在不明になっていたが、昭和60年(1985年)に寺の薬師堂解体の際、その床下から発見された。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西尾吉次」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.