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袁豹 : ウィキペディア日本語版
袁豹[えん ひょう]
袁豹(えん ひょう、373年 - 413年)は、東晋末の官僚は士蔚。本貫陳郡陽夏県
== 経歴 ==
袁質の子として生まれた。学問を好み、古典を広く読んだ。著作佐郎を初任とした。次いで桓謙の下で衛軍記室参軍となった。403年元興3年)、武陵王司馬遵が承制すると、袁豹はその下で大将軍記室参軍をつとめた。この年のうちに、丹陽尹孟昶の下で建威司馬となった。義熙初年、司徒左西属に転じた。また劉毅の下で撫軍諮議参軍となり、記室を兼ねた。劉毅が農業政策についての議論を起こすと、袁豹は開墾の推進と重農抑商を唱えた。
撫軍司馬に転じ、入朝して御史中丞となった。410年(義熙6年)、孟昶が死去すると、袁豹は代わって丹陽尹となった。411年(義熙7年)、上納する銭を移動させた罪を問われて、太尉諮議参軍に降格され、長史に転じた。412年(義熙8年)、従軍して劉毅に対する討伐に参加した。劉裕朱齢石を派遣して後蜀を討たせるにあたって、袁豹がその檄文を書いた。
413年(義熙9年)、袁豹は在官のまま死去した。享年は41。414年(義熙10年)、南昌県五等子に追封された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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