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藤次寺 : ミニ英和和英辞書
藤次寺[とうじじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 

藤次寺 : ウィキペディア日本語版
藤次寺[とうじじ]

藤次寺(とうじじ)は、大阪市天王寺区生玉町にある、高野山真言宗の寺院。山号は如意山(にょいさん)。
摂津国八十八箇所 第19番札所
* 本尊・如意宝珠融通尊(にょいほうじゅゆうずうそん)=(宝生如来・ほうしょうにょらい)
* 脇侍・金剛幢菩薩(こんごうほうぼさつ)・金剛宝菩薩(こんごうほうぼさつ)・弘法大師不動明王
* 縁日(毎月1日、11日、21日)
== 沿革 ==
藤次寺は弘仁年間(810年824年)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上人を開基とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえに、藤冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、藤次寺と改称し、現在に至っている。
藤原氏の祈願寺として、藤原氏一門より、深い帰依を受け栄えていたが、寺運の盛衰があった。慶長年間(1596年1615年)に、加藤清正が大檀主となり、金堂、伽藍、堂宇などを建立した。広大な寺域(境内)を持ち、壮観であったと言う。
中興憲遵阿闍梨の時には、如意宝珠融通尊への信仰が盛んになり、「大阪の融通さん」と称されて、多くの人々の信仰を集めている。
明和元年(1764年)、中興清範和上の時、九条尚実が家運長久を祈るため永代不易の祈願寺として改めて、旨辞を授けた。江戸時代末まで、九条家五摂家の一つ。藤原兼実が祖。)の祈願寺であった。
しかし、昭和20年(1945年)3月、戦災により藤次寺は全焼した。都市計画のために境内地の移転があった。昭和35年(1960年)に金堂、庫裡、寺務所が完成した。
藤次寺のの前(山門近く)に、如意山 藤次寺、融通さんまいりと記された石碑がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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