翻訳と辞書
Words near each other
・ 藤原氏の出
・ 藤原氏宗
・ 藤原氏範
・ 藤原氏長者
・ 藤原氏雄
・ 藤原水谷
・ 藤原永利
・ 藤原永手
・ 藤原永継
・ 藤原永貞
藤原永頼
・ 藤原沢子
・ 藤原河主
・ 藤原治子
・ 藤原法夫
・ 藤原泰子
・ 藤原泰憲
・ 藤原泰斗
・ 藤原泰浩
・ 藤原泰衡


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

藤原永頼 : ミニ英和和英辞書
藤原永頼[ふじわらえいよりゆき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation

藤原永頼 : ウィキペディア日本語版
藤原永頼[ふじわらえいよりゆき]

藤原 永頼(ふじわら の ながより)は平安時代中期の公卿播磨守藤原尹文の子。官位従三位皇太后宮権大夫山井三位と号す。
== 経歴 ==
応和2年(962年村上天皇蔵人に補され、木工助に任ぜられる。応和3年(963年近江掾に転じるが再度木工助を務め、その後従五位下叙爵
美作介を経て、天延2年(974年尾張国百姓の訴えにより尾張守藤原連真が解任されると、永頼が守に任ぜられた〔『日本紀略天延2年5月23日条〕。この当時、散位であった。その後も美作・伊勢讃岐大和丹波〔または、丹後守尊卑分脈)。〕・近江と計七国の受領を歴任。中宮権亮や木工頭も務めた。近江守在任中〔『権記長保6年正月7日条〕の長保6年(1004年仁寿殿の造宮の功〔で従三位に叙される〔公卿に列したものの、『公卿補任』には記載されていない。〕。また、皇太后宮権大夫も務めた。
寛弘2年(1005年)3月、藤原実資を訪ねて出家の意を漏らした後〔『小右記寛弘2年3月17日条〕、寛弘3年(1006年)10月に出家する。寛弘7年(1010年)閏2月薨去享年79。岳父藤原定方より伝領した山井の邸宅に住んでいたため山井三位と号した。この山井第は後に娘婿の道頼が所有した。
永頼の子孫は院政期藤原信西藤原朝子夫妻、源義朝の遺児源範頼の養父である藤原範季やその娘で順徳天皇母の修明門院源頼朝の外祖父藤原季範や母の由良御前などを輩出している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原永頼」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.