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藤原実宣 : ミニ英和和英辞書
藤原実宣[ふじわら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 

藤原実宣 ( リダイレクト:滋野井実宣 ) : ウィキペディア日本語版
滋野井実宣[しげのいじつせん]

滋野井 実宣(しげのい さねのぶ)は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿参議滋野井公時の長男。日記に『実宣卿記』がある。
== 経歴 ==
治承5年(1181年従五位下叙爵し、文治4年(1188年侍従に任ぜられる。建久3年(1192年美濃権介を兼ね、建久5年(1194年)従五位上に叙された。
建久6年(1195年正五位下左近衛少将に叙任される。美濃権介を再度兼任し、建久8年(1197年従四位下に進む。正治2年(1200年)従四位上、正治3年(1201年播磨介建仁2年(1203年正四位下となり、左近衛権中将・備前権介を歴任。建永2年(1207年蔵人頭に補任。同年中に参議に任ぜられ公卿に列し、承元2年(1208年但馬権守を兼ねて従三位に進んだ。承元3年(1209年)父・公時が病によって明日出家する予定であるとのことを関白近衛家実に告げ送っている〔『猪隈関白記承元3年8月16日条〕。
承元4年(1210年正三位に昇叙。建暦元年(1211年右衛門督検非違使別当を務め、権中納言に任ぜられる。建暦3年(1213年従二位建保5年(1217年正二位に叙され、建保7年(1219年)中納言に転じる。
左衛門督を経て、元仁元年12月(1225年2月)父・公時の極官である参議を大きく上回る権大納言に進む。翌嘉禄元年(1225年)辞退するが、嘉禄3年(1227年伊勢神宮への奉幣のために還任する。この間の嘉禄2年(1226年)、長男の公賢が姻婚の悩みを抱えて逃げ去り、出家した際に藤原定家は「厳父憂慮の餘り、還って一子を失う歟」、「至愚の父」などと実宣の子息への対応を評価している〔『明月記嘉禄2年正月29日条〕。安貞2年(1228年)病のため権大納言を辞し、数日後に薨去した。享年52。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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