翻訳と辞書
Words near each other
・ 荒木保知
・ 荒木信子
・ 荒木健太
・ 荒木健太朗
・ 荒木健太郎
・ 荒木健治
・ 荒木優太
・ 荒木優樹菜
・ 荒木優里
・ 荒木優騎
荒木元清
・ 荒木元融
・ 荒木光太郎
・ 荒木克業
・ 荒木初子
・ 荒木利之
・ 荒木十三郎
・ 荒木十左衛門
・ 荒木十畝
・ 荒木博之


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

荒木元清 : ミニ英和和英辞書
荒木元清[あらき もときよ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

荒木 : [あらき]
 【名詞】 1. logs in bark 2. rough wood 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

荒木元清 : ウィキペディア日本語版
荒木元清[あらき もときよ]

荒木 元清(あらき もときよ、天文4年(1535年)〔『朝日日本歴史人物事典』による。または、翌天文5年(1536年)とも(『日本人名大辞典』・『新訂寛政重修諸家譜第13』)。〕 - 慶長15年5月23日1610年7月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将馬術家。通称志摩。法名は安志。
== 生涯 ==
荒木村重の親戚の家系に生まれ、初めは村重の家臣として、花隈城主となっていた〔『常山記談』による。『中川文書』によると「大河原具雅」(おおがわら ともまさ)が城主で、その部下が荒木元清との記載もある。〕(18,000石を領したという〔『寛政重修諸家譜』第十三 より。〕)。
天正6年(1578年)10月に村重が突如、織田信長に対して反旗を翻した(有岡城の戦い)際、これに同調する。その後、劣勢となって有岡城、尼崎城(大物城)から逃れてきた村重・村次父子を花隈城に迎え入れたが、同8年(1580年)、花隈城に攻めてきた池田恒興らの攻勢に耐えきれず城は開城(花隈城の戦い)、脱出した元清は備後鞆に逃れた。
大坪流斎藤好玄(さいとう よしはる、斎藤安芸守)より弓術を伴わない馬術を学び〔、それを基にして、自身の苗字を冠した荒木流(荒木流馬術)を新たに創始したとされる〔。
天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が没し、羽柴秀吉が台頭すると、秀吉に昔の罪を許されて家臣に迎えられる。文禄4年(1595年)、豊臣秀次事件に連座して追放され、流罪となったが、のちに赦された。
慶長3年(1598年)の秀吉の死後は京都に隠遁し、同15年5月23日に死去(享年75)〔『系図纂要』より。〕〔。
荒木流はその後、四男の元満(もとみつ、十左衛門)によって継承された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荒木元清」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.