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肥前石井氏 : ミニ英和和英辞書
肥前石井氏[ひぜんいしいし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こえ]
 【名詞】 1. manure 2. night soil 3. dung 4. fertiliser 5. fertilizer 
: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

肥前石井氏 : ウィキペディア日本語版
肥前石井氏[ひぜんいしいし]

肥前石井氏(ひぜんいしいし) / 佐賀石井家(さがいしいけ)は、鎌倉時代に起こり、室町時代から明治時代初期にかけて肥前国を根拠とした武家士族。本貫は下総国。本姓は藤原氏北家兼通流)であるが、下総国出身の千葉氏の後裔でもある。戦国大名龍造寺氏の譜代重臣(水ヶ江譜代)、佐賀藩鍋島氏の藩祖以来の外戚家門・重臣として知られる。
石井党石井一党石井一門石井寄合衆と称される精強な武士団を率い、戦国時代から江戸時代初期にかけて隆盛を極め、佐賀藩に伝わる武士道論書『葉隠』にもしばしば登場する一族で、明治に至るまで戦国時代の武家の気質・家風を伝えた。
俳人・歌人や学者など多彩な人物も輩出し、文武両道の家柄として知られた。明治以降も日本の電話創始者石井忠亮、日本の知的障害者教育・福祉の創始者石井亮一ら有為な人材を輩出した。姻戚には大隈重信中牟田倉之助武富時敏久米邦武らの名士が名を連ね、佐賀地方有数の名族であった。
通字は、「忠」あるいは「常」など。



==出自==
『石井系譜』(弘化4年(1847年)成立、佐賀県立図書館鍋島家文庫所蔵)によれば、当家の遠祖は、藤原鎌足11代の孫藤原兼通とし、兼通からさらに6代下った式部大輔忠衡のとき、下総権守に補任され、建長2年(1250年)8月、下総国猿島郡石井郷に下向、土着したことに始まる。忠衡の子忠光は在名に因み石井下総守を名乗り、初めて石井の名字を称したとされる。忠光の曾孫式部大輔忠成のとき、下総守護職千葉宗胤の娘を正室に迎え、一子式部大輔忠元を儲け、以降は千葉氏の戚臣となった。
他説、多久市郷土資料館の『水江臣記』によれば、下総国安部野城主石堂式部大輔忠正入道禅心の子式部大輔忠成が、三浦合戦(宝治合戦か?)に14歳で出陣した折、陣中に一羽の鳩が飛来し、近くの井戸の中に舞い降りて行ったという。合戦で汚れた軍旗(一説には血刀とも)を洗い、再び合戦に臨んだところ、見事勝利を収めたというので、その吉事に因み、石堂の名字を石井に改めたとしている。
ただし、既述の由緒については、後世に作成されたものであり、真偽の程は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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