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耶律庶箴 : ミニ英和和英辞書
耶律庶箴[やりつ しょしん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りつ]
 (n) commandments

耶律庶箴 : ウィキペディア日本語版
耶律庶箴[やりつ しょしん]
耶律庶箴(やりつ しょしん、生年不詳 - 1082年)は、(契丹)の政治家は陳甫。耶律庶成の弟にあたる。
== 経歴 ==
検校太師の耶律呉九の子として生まれた。文章を得意とした。重熙年間、本族将軍となった。咸雍元年(1065年)、同知東京留守事をつとめ、まもなく烏衍突厥部節度使に転じた。9年(1073年)、知薊州事となった。
10年(1074年)、都林牙に転じた。契丹の姓氏について上表して、創業いらい姓氏は耶律と蕭の2姓だけとなっているので、諸部にそれぞれ姓氏を立てさせるよう願い出た。道宗は旧制を変えることはできないとして、聞き入れなかった。
太康2年(1076年)、耶律乙辛中京留守として出向すると、庶箴は耶律孟簡とともにこれを祝う上表をおこなった。ほどなくして耶律乙辛は枢密使に復帰して、専権をふるうようになった。庶箴はひそかに耶律乙辛に会って、「以前あなたにさからう上表をおこなったのは、庶箴の本意ではありませんでした」と泣いて言った。こうして庶箴は身の安全を買うことができたが、このことを聞いた人々は庶箴を軽蔑した。8年(1082年)、庶箴は致仕し、死去した。
子に耶律蒲魯があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「耶律庶箴」の詳細全文を読む




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