翻訳と辞書
Words near each other
・ 耶律奚低
・ 耶律奴瓜
・ 耶律婁国
・ 耶律学古
・ 耶律安端
・ 耶律室魯
・ 耶律寅底石
・ 耶律履
・ 耶律庶成
・ 耶律庶箴
耶律引吉
・ 耶律弘古
・ 耶律弘古 (盆訥隠)
・ 耶律弘古 (胡篤堇)
・ 耶律徳光
・ 耶律德光
・ 耶律抜里得
・ 耶律抹只
・ 耶律撒剌的
・ 耶律撒合


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

耶律引吉 : ミニ英和和英辞書
耶律引吉[やりつ いんきつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りつ]
 (n) commandments

耶律引吉 : ウィキペディア日本語版
耶律引吉[やりつ いんきつ]
耶律引吉(やりつ いんきつ、生没年不詳)は、(契丹)の政治家は阿括。契丹品部の出身。
== 経歴 ==
耶律双古の子として生まれた。父の蔭官により出仕し、東京留守・北枢密院侍御に累進した。ときに蕭革蕭図古辞らが重用されていたが、引吉はかれらにおもねろうとしなかった。客省使に転じた。ときに朝廷が3京の隠戸を捜索させて成果をえられなかったが、引吉が任を引き継ぐと、数千戸あまりを戸籍に登録させた。
皇太子耶律濬が北院と南院の行政を統轄すると、引吉がその補佐と教導にあたった。枢密使耶律乙辛は皇太子を追い落とそうと考えていたので、引吉を引き離そうと画策して、引吉を群牧林牙として出すよう上奏した。太康元年(1075年)、乙辛は牧地を賜るよう請願したが、引吉がこれに反対したため、道宗は乙辛の請願をしりぞけた。乙辛はこのためますます引吉を憎み、引吉を懐徳軍節度使に出向させ、さらに漠北猾水馬群太保に左遷させた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「耶律引吉」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.