翻訳と辞書
Words near each other
・ 耴
・ 耵
・ 耶
・ 耶嬢
・ 耶律イン徳実
・ 耶律ケツ
・ 耶律ワ
・ 耶律仙童
・ 耶律仲禧
・ 耶律何魯不
耶律何魯掃古
・ 耶律余睹
・ 耶律余覩
・ 耶律余賭
・ 耶律余里衍
・ 耶律侯哂
・ 耶律信先
・ 耶律倍
・ 耶律傲盧斡
・ 耶律僕里篤


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

耶律何魯掃古 : ミニ英和和英辞書
耶律何魯掃古[やりつ かろそうこ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りつ]
 (n) commandments
: [なん]
  1. (int,n) what 
: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand

耶律何魯掃古 : ウィキペディア日本語版
耶律何魯掃古[やりつ かろそうこ]
耶律何魯掃古(やりつ かろそうこ、生没年不詳)は、(契丹)の軍人は烏古隣。
== 経歴 ==
孟父房の後裔。重熙末年、祗候郎君に補任された。清寧初年、安州団練使を加えられた。太康年間、懐徳軍節度使六部禿里太尉を歴任した。枢密官とともに東北辺境の行政を担当し、左護衛太保に転じた。道宗に近侍して、物言いは率直であり、他者の考えを忖度しなかったので、道宗に優遇された。
太安8年(1092年)、知西北路招討使事となった。耶睹刮らの侵攻があったため、何魯掃古は北阻卜の首長の磨古斯を誘って耶睹刮を攻撃し、多くの捕虜をえた。功績により左僕射の位を加えられた。再び耶睹刮らを討ったが、誤って磨古斯を攻撃したため、磨古斯は遼に反抗するようになった。9年(1093年)、都監の蕭張九を派遣して磨古斯を討たせたが勝利できず、2室韋と六院部・特満群牧・宮分などの軍が磨古斯に敗北した。何魯掃古は事実を報告しなかったことから、罪に問われて官を剥奪され、杖罰を受けた。
寿昌6年(1100年)、惕隠となった。侍中を兼ね、保節功臣の称号を賜った。乾統元年(1101年)、道宗が死去すると、宰相耶律儼とともに総山陵事をつとめた。乾統3年(1103年)、南院大王となった。致仕して、死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「耶律何魯掃古」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.