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細川忠興 : ミニ英和和英辞書
細川忠興[ほそかわただおき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [こう]
 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure 

細川忠興 : ウィキペディア日本語版
細川忠興[ほそかわただおき]

細川 忠興(ほそかわ ただおき)/長岡 忠興(ながおか ただおき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名丹後国宮津城主を経て、豊前小倉藩初代藩主。肥後細川家初代。
足利氏の支流・細川氏の出身である。正室明智光秀の娘・玉子(通称細川ガラシャ)。室町幕府将軍足利義昭追放後は長岡氏を称し、その後は羽柴氏も称したが、大坂の陣後に細川氏へ復した。
足利義昭、織田信長、豊臣秀吉徳川家康と、時の有力者に仕えて、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。また父・幽斎と同じく、教養人・茶人細川三斎(さんさい))としても有名で、利休七哲の一人に数えられる。茶道の流派三斎流の開祖である。
== 生涯 ==

=== 幼少期 ===
永禄6年(1563年)11月13日、室町幕府第13代将軍・足利義輝に仕える細川藤孝(幽斎)の長男として京都で生まれる。母は沼田光兼の女・麝香(のちの光寿院)〔諏訪勝則「幽斎・忠興関係年譜」(米原正義編『細川幽斎・忠興のすべて』新人物往来社、2000年)p.226〕。
義輝の命により一族・奥州家細川輝経の養子となるが、この養子縁組は系譜上のものであり、その後も実父・藤孝と行動をともにし、領国も継承した。
永禄の変の後、藤孝や明智光秀らは尾張美濃の大名・織田信長を頼って義輝の弟・義昭を第15代将軍に擁立したが、やがて信長と義昭が対立すると信長に臣従した。忠興は信長の嫡男・信忠に仕えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「細川忠興」の詳細全文を読む




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