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紀元二千六百年特別観艦式 : ミニ英和和英辞書
紀元二千六百年特別観艦式[きげんにせんろっぴゃくねん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

紀元 : [きげん]
 【名詞】 1. (1) era 2. (2) A.D. (Christian era) 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [に]
  1. (num) two 
: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [ろく]
  1. (num) six 
: [ひゃく]
  1. (num) 100 2. hundred 
百年 : [ひゃくねん]
 【名詞】 1. century 2. hundred years
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
特別 : [とくべつ]
  1. (adj-na,adv,n) special 
: [べつ]
  1. (adj-na,n,n-suf) distinction 2. difference 3. different 4. another 5. particular 6. separate 7. extra 8. exception 
: [かん]
  1. (n,n-suf) look 2. appearance 3. spectacle 
観艦式 : [かんかんしき]
 (n) naval review
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 
: [しき]
  1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style 

紀元二千六百年特別観艦式 : ウィキペディア日本語版
紀元二千六百年特別観艦式[きげんにせんろっぴゃくねん]

紀元二千六百年特別観艦式(紀元二千六百年特別觀艦式、きげんにせんろっぴゃくねんとくべつかんかんしき)は、神武天皇即位紀元2600年を奉祝して1940年昭和15年)10月11日に行われた大日本帝国海軍特別観艦式
== 概要 ==
紀元二千六百年記念行事の一環として1940年昭和15年)10月11日に横浜港沖で開催され、聯合艦隊の艦艇98隻〔ただし、高等商船学校練習船大成丸中央気象台観測船凌風丸の2隻が特別に参加している。〕(596,000トン)による特別観艦式と、航空機527機(海軍航空隊及び観艦式参列艦船搭載機)による空中分列式(編隊飛行)が執り行われた。翌1941年(昭和16年)の大東亜戦争太平洋戦争)開戦に伴い、以降の観艦式は行われなかったため、帝国海軍最後の観艦式である〔観艦式の歴史 自衛艦隊 海上自衛隊〕。
帝国海軍の観艦式には国家大典に当たって挙行される「特別観艦式」と、大演習又は特別大演習の終期に挙行される「大演習観艦式」の二種類が存在し、紀元2600年を奉祝する事を主たる目的とした本観艦式も特別観艦式とするのが適当とされ、名称も「紀元二千六百年特別観艦式」とするのが至極当然とされた。しかし、帝国海軍が1940年(昭和15年)に特別大演習を実施すべきことに内定したため、形式は特別観艦式として、名称は両者を兼ねて「紀元二千六百年特別大演習観艦式」として準備を進めて上奏・裁可を経たが、後に本来の通り「紀元二千六百年特別観艦式」に改め、1940年(昭和15年)9月12日にこの旨を軍令部総長伏見宮博恭王が上奏し、昭和天皇の裁可を仰いだ〔『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』、201-202頁〕。
観艦式の実施方法としては、受閲艦艇と観閲艦艇の双方が航行しながら観閲する「移動観艦式」と、停泊した受閲艦艇の間を観閲艦艇が航行する「碇泊観艦式」があるが、移動観艦式は予行及び実施に当たって莫大な燃料と相当広域な海面が必要なため、東京湾で実施するのは困難があると認められ、また1936年(昭和11年)に神戸港沖で実施された移動観艦式の経験に鑑み、視界その他の影響を受けて実効を挙げ得ざる点を考慮して、碇泊観艦式で実施する事となった〔。
なお、観艦式では外国の軍艦もしくは船舶が参加する例もあったが、本観艦式では当時の国際情勢において外国の艦船を観艦式場に在泊させる事は機密保持及び各国の国交状態に鑑みて適当ではないとして、外国艦船は一切参加させず、日本船舶に関しては特に指定するものに限り参列を許可し、外国人に対しては原則として陪観又は拝観させない事とした。
実施時期については、昭和16年度における聯合艦隊の集合時期を目処として、人事異動及び艦船兵器・航空機の整備をこれに合わせて計画し、当初は1940年(昭和15年)10月25日から27日までの間として計画され、軍令部総長より上奏・裁可を得たが、8月24日に至って10月11日に変更する旨を軍令部総長より上奏し、裁可を得た〔『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』、202-203頁〕。
10月11日の観艦式当日、参加艦艇は横浜港沖に展開し、南方より北方へ各列を配置し、各艦船は東西方向に整列した。また、番外列は第一列の南側、最南方列に配置した。昭和天皇が乗艦した御召艦比叡は、第一列と第二列の間を東進した後、第三列と第四列の間を西進し、予定位置に投錨して御親閲は終了した。この間、空中分列指揮官・小澤治三郎海軍少将が指揮する戦闘機攻撃機爆撃機水上偵察機飛行艇等による527機の大編隊が式場上空に飛来し、西方に飛び去った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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