翻訳と辞書
Words near each other
・ 第二次ネオ・ジオン戦役
・ 第二次ネオ・ジオン抗争
・ 第二次ハフマン紛争
・ 第二次ハリコフ攻防戦
・ 第二次ハワイ奇襲攻撃
・ 第二次バターン半島攻略戦
・ 第二次バルカン戦争
・ 第二次バロン戦争
・ 第二次バーバリ戦争
・ 第二次パリ条約
第二次パーニーパットの戦い
・ 第二次パーニーパトの戦い
・ 第二次ピーターズバーグの戦い
・ 第二次フィッシャー砦の戦い
・ 第二次フィニステレ岬の海戦
・ 第二次フランクリンの戦い
・ 第二次フランス軍事顧問団
・ 第二次ブルガリア帝国
・ 第二次ブルランの戦い
・ 第二次ブル・ラン川の戦い


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第二次パーニーパットの戦い : ミニ英和和英辞書
第二次パーニーパットの戦い[だいにじぱーにーぱっとのたたかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
第二 : [だいに]
 (n) second
第二次 : [だいにじ]
 (n) the second ..
: [に]
  1. (num) two 
二次 : [にじ]
 【名詞】 1. secondary 2. subordinate 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

第二次パーニーパットの戦い : ウィキペディア日本語版
第二次パーニーパットの戦い[だいにじぱーにーぱっとのたたかい]

第二次パーニーパットの戦い(だいにじパーニーパットのたたかい、英語:The Second Battle of Panipat)は、1556年11月5日パーニーパット(パーニーパト)において、ムガル帝国バイラム・ハーンスール朝の武将ヘームー(ヒームーとも)との間に行われた戦い。この戦いにおける勝利はアクバルの治世がムガル帝国の黄金期となる端緒となった。
== 戦闘に至る経緯 ==

1555年、ムガル帝国の皇帝フマーユーンはスール朝からデリーを奪還したが、まもなく1556年1月に事故死した。その後を幼少の息子アクバルが継承し、宰相であるバイラム・ハーンが摂政となっ〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p151〕た。
一方、北インドではムハンマド・アーディル・シャーをはじめとするスール朝の王3人が割拠していたが、その3人以外でヘームーの存在はもっとも帝国に脅威であった〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p186〕。ヘームーはスール朝のヒンドゥー武将であったが、1555年のスール朝の滅亡後、主君ムハンマド・アーディル・シャーと別行動をとり、新王朝の樹立を狙っていた。
そして、1556年1月にフマーユーンが死ぬと、ヘームーはその混乱を狙い、軍を集め、10月にデリーを陥落させ、「ラージャ・ヴィクラマーディティヤ」を名乗った〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p1186〕。
このとき、ヘームーの軍勢10万を超す軍勢であったのに対し、ムガル帝国の軍勢は2万ほどであった。だが、アクバルとバイラム・ハーンの決断により、帝国軍はこれと戦う決断をした〔クロー『ムガル帝国の興亡』、p74〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第二次パーニーパットの戦い」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.