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立浪耐治 ( リダイレクト:旭豊勝照 ) : ウィキペディア日本語版
旭豊勝照[あさひゆたか かつてる]

旭豊 勝照(あさひゆたか かつてる、1968年9月10日 - )は、愛知県春日井市出身の元大相撲力士大島部屋所属。本名は市川耐治(元関脇羽黒山の婿養子時は安念耐治)。身長190cm、体重145kg。得意手は左四つ、上手投げ。趣味はマリンスポーツ。俳優松平健に似た顔立ちから、現役時代には「角界の暴れん坊将軍」「角界のマツケン」と呼ばれた。奇しくも松平健とは同じ愛知県出身で、断髪式には松平健本人も登場した。最高位は東小結1996年7月場所、11月場所)。現・年寄立浪
== 力士時代 ==
中学時代は水泳部に所属し大会でも入賞するなど活躍した。高校に進学しても水泳を続けたが、高校卒業と同時に父の知人だった元大関旭國斗雄の大島部屋に入門。1987年3月場所に初土俵を踏んだ。しかし、リウマチ熱や左足の故障に悩まされ2度も番付外に陥落した。当時は再出世の力士も出世披露を受けることになっていたことから、新序の時を含めて3回出世披露を受けた。
以降は、着実に番付を上げて行き入門から3年で幕下に昇進したものの、体重が増えず幕下と三段目を往復する生活が続いた。徐々に体重も増え、幕下中位でも成績を残せるようになり、1992年11月場所には西幕下16枚目の地位で幕下優勝を果たした。しかし規定(15枚目までの地位での幕下優勝者は翌場所十両に昇進)により1枚違いで場所後の十両昇進はならず、翌場所は東幕下筆頭に留め置かれ、大負け。勝てば勝ち得となる八番相撲も組まれたにもかかわらず結局2番しか勝てなかった。数場所の間幕下の1桁を一進一退した。この間、母親の勧めもあって名を耐治から勝照に改めている。改名の効果があってか、1993年9月場所には東幕下4枚目の地位で再び幕下優勝を果たし、翌11月場所に十両に昇進。1995年3月場所には新入幕を果たした。
左四つ得意で右上手を取ると力を発揮し、1996年5月場所には新三役で小結に昇進した。その場所には8勝7敗と勝ち越し、翌7月場所には関脇に昇進してもおかしくはなかったが、西から東に回っただけで番付運に泣かされ昇進することはできなかった。その後も幕内上位での相撲が続き、曙太郎貴乃花光司から金星を獲得するなど地力の高さを見せた。瓢箪をぶら下げた化粧廻しや、電飾を使った化粧廻しを使用したことでも知られている(後者に関しては、露鵬白露山兄弟も使用)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「旭豊勝照」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Asahiyutaka Katsuteru 」があります。




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