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旭國斗雄 : ミニ英和和英辞書
旭國斗雄[あさひくに ますお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさひ]
 (n) morning sun
: [ます, と]
 【名詞】 1. (1) measure 2. unit of volume ( 1. 8l) 3. (2) square container, e.g., a box 4. (3) square on a grid 5. cell of a grid
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

旭國斗雄 : ウィキペディア日本語版
旭國斗雄[あさひくに ますお]

旭國 斗雄(あさひくに ますお、1947年4月25日 - )は、立浪部屋所属の元大相撲力士。最高位は東大関北海道上川郡愛別町出身で農家の三男として生まれる。本名は太田 武雄(おおた たけお)、現役時代の体格は身長174cm、体重121kg、血液型はB型。引退後は長く年寄大島として大島部屋を経営し、日本相撲協会の理事として巡業部長も務めた。
== 来歴 ==

=== 入門から大関昇進まで ===
幼い頃からスポーツが得意で中学校時代は野球をしていた。3年生の時に人数不足から相撲部の助っ人として大会に出場し優勝。大島親方(元前頭19枚目・若浪)を紹介され昭和37年(1962年)、立浪部屋に入門した。床山の新弟子と間違われたほど小柄だったため新弟子検査では4場所続けて不合格になり、諦めかけたが、兄弟子や親方に励まされてもう1度受けることを決意、少しでも身長の計測で有利になるようにと兄弟子にたのんで頭を殴ってもらい瘤を作り、床山にたのんで髪を持ち上げてもらい検査を受けた。幸運にもその時(昭和38年=1963年7月場所)の検査を担当したのが師匠の立浪親方(元横綱羽黒山)だったため御目零しで合格の判を押してもらえた。
幕下時代に盲腸の手術を受けたが傷が癒える前に稽古を始めてしまい、しかも大酒を飲んだことがたたって膵臓を患い苦しまされた。この膵臓炎は結果として「現役時代に10数回入院し、最長で28日間絶食」という苦しい経験をもたらす程に大きな障害となった。〔『相撲』2012年5月号67頁には「北海道の母親が送ってくれた熊笹を煎じて飲んだおかげで調子が良くなり、引退後も症状が出ていない。大島部屋の関取衆もよく飲んでいるみたいだ。」と膵炎の治療についてのエピソードが記述されている。〕〔『相撲』2012年8月号〕膵炎の原因は根本として若浪の付き人を務めていた頃に酒を飲み過ぎたことにあり、若浪自身もそれを後年述懐していた。〔大相撲酒豪番付2014年東銀座場所  時事ドットコム〕昭和44年(1969年)7月新入幕。しかし昭和45年(1970年)3月に急性胆嚢炎で途中休場し、翌場所は9勝6敗と勝ち越すも7月に4勝11敗と大負けして十両陥落。昭和46年(1971年)11月に再入幕したが翌場所に膵臓炎で休場してしまい陥落。昭和47年(1972年)5月に再々入幕しようやく幕内に定着する。
小結だった昭和50年(1975年)3月は膵臓炎で入院し初日から休場したが点滴が終わると病院を抜け出して稽古をしていた。医者に「こんな体で相撲取ったら死ぬぞ」と警告されても「土俵で死ねれば力士の本望」と10日目から出場して4勝2敗。背骨の両脇に上下に並ぶ鍼の跡の絆創膏が大きく目立った。翌場所11勝して三役に復帰すると定着し昭和51年(1976年)1月関脇で12勝3敗、大関獲りとなる3月は13勝2敗で横綱・輪島との優勝決定戦に出場、敗れはしたが大関に昇進した。28歳11ヶ月での新大関昇進は、年6場所制が定着した昭和33年(1958年)1月場所以降初土俵の力士では当時最年長であった(現在は琴光喜が記録を保有)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「旭國斗雄」の詳細全文を読む




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