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磁雷矢 : ミニ英和和英辞書
磁雷矢[じらいや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみなり]
 【名詞】 1. thunder 
: [や]
 【名詞】 1. arrow 

磁雷矢 : ウィキペディア日本語版
磁雷矢[じらいや]

磁雷矢(じらいや、本名:吉田晋一郎(よしだ しんいちろう)、1965年1月28日 - )は、日本人プロレスラーである。福岡県福岡市出身。血液型B型。メキシコAAAを経て現在はフリー
デビュー戦:1991年12月22日メキシコ・アレナネッサワルコヨ大会、対ラロ・バジェステロス戦。
メキシコに約13年間滞在し、日本人ルチャドールの先駆者として知られる。
== 経歴 ==
初代タイガーマスクに憧れプロレスラーを志すが、体が小さかったために断念する。しかし17歳の時に本屋でルチャリブレを特集した雑誌を読み「体が小さくてもメキシコならばプロレスラーになれるチャンスがある!メキシコへ行こう!」と心に誓う。
高校卒業後、メキシコへの資金を貯えるために陸上自衛隊に入隊する。その2年後に資金が貯まり自衛隊を除隊してメキシコへ行く準備を整えている頃に1985年に起きたメキシコ大地震があり、両親に猛反対されメキシコ行きを断念する。
その後水道設備会社に就職し、半年、一年と経っていくにつれてメキシコへの情熱が薄らいでいってしまう。そんなある日空手に興味を持ち始め、空手道場の見学に行ったが何度行っても休みだった。その頃には再びメキシコへの情熱が蘇りメキシコ行きを決意する。
1987年7月に家を飛び出す形で単身メキシコへ渡る。
アレナメヒコに観戦に行った際にEMLLのブッカー、フアン・エレーラに相談すると「君は体が小さ過ぎる、体を作って5kg増やしてまた来なさい。」と門前払いにされてしまう。その時のウエイトは60kgに満たなかった。
しかし当然諦める気もなく日本から持ってきたルチャリブレの道場が紹介された本だけを頼りに「ヒムナシオ・ブルーデモン」、「ヌエボ・ホルダン」、「ヒムナシオ・ハム・リー」を巡ってシャディト・クルスブラソ・シベルネティコに師事する。
徹底的にルチャの基礎を叩き込まれた後に、リングネームをソンブラ・ロハ、カモシート、シノビ、ソンブラ・ネグラと色々変えて闇試合に出場する。
正規の試合をするにはコミッションが主催するプロテストに合格し、プロライセンスを取得せねばならない。
3度目の渡墨でプロライセンスが取れなかったら諦めようと思っていた頃にライ・メンドーサビジャノ1号に師事する。師匠の熱心な指導もありプロライセンス試験で見事合格を果たした。登録名を「ジライヤ」にする。
その後1991年12月22日アレナ・ネッサワルコヨ大会にて正式にプロデビューを果たした。この頃はUWAに所属していた。
1993年8月にはみちのくプロレスに初の逆輸入ルチャドールとして日本初試合を果たした。その後IWAジャパンにも参戦。
所属団体をUWA、CMLLプロモアステカプロメルと渡り歩いていたが、1997年12月にAAA所属となり、1998年には同じ日本人ルチャドールゴクウ飛影SHIIBAと共に「ロス・カミカゼス」を結成する。
2000年に日本に完全帰国しSHINOBI、SHIIBA、飛影等と共にルチャリブレ日本を結成。第2代博多ライトヘビー級チャンピオンになる。
その後、みちのくプロレスプロレスリング華☆激を始め様々な団体に参戦し、2008年2月、筑前りょう太の呼びかけに対し九州プロレスに参戦を表明した。
2009年7月7日、日本初といえる純粋のルチャリブレスクール「レアル・ルチャ・リブレ」を開校する。
現在は小学生から一般まで、幅広い年齢層の生徒が通っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「磁雷矢」の詳細全文を読む




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