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益田貞兼 : ミニ英和和英辞書
益田貞兼[ますた さだかね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やく, えき]
  1. (n,n-suf,vs) gain 2. benefit 3. profit 4. use 5. advantage 6. being beneficial (useful, profitable, valuable)
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 

益田貞兼 : ウィキペディア日本語版
益田貞兼[ますた さだかね]

益田 貞兼(ますた さだかね)は、戦国時代武将。戦国大名大内氏の家臣。益田氏第16代。
== 生涯 ==
石見国の国人。寛正2年(1461年)に父益田兼堯から家督を譲られ、以降大内政弘に仕える。応仁の乱に際しては政弘に従って上洛し、細川勝元軍と交戦して武功を挙げ、足利義視から太刀と鎧を与えられた。
文明2年(1470年)、周防国において大内教幸が反乱を起こす(大内道頓の乱)。石見の有力国人吉見信頼も反乱に加担したため、政弘の命令で石見に帰国し、陶弘護と協力して反乱を鎮圧した。この功績を受けて政弘より周防・長門などに所領を新たに加増され、益田氏の全盛期を創出する。文明11年(1479年)には9代将軍足利義尚の接待を受けている。
文明15年(1483年)、嫡男の宗兼に家督を譲って隠居したが、引き続き大内家の重鎮として政務に参画した。大永6年(1526年)7月20日に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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