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白洲正子 : ミニ英和和英辞書
白洲正子[しらす まさこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しろ]
 【名詞】 1. white 
白洲 : [しらす]
 【名詞】 1. (1) white sandbar 2. (2) law court
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
正子 : [しょうし]
 (n) midnight
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

白洲正子 : ウィキペディア日本語版
白洲正子[しらす まさこ]

白洲 正子(しらす まさこ、1910年明治43年)1月7日 - 1998年平成10年)12月26日)は随筆家
姉に近藤泰子、夫は白洲次郎。長男は白洲春正、次男は白洲兼正、長女は牧山桂子。多くの関連著作を出している白洲信哉(プロデューサーほか)は孫の一人で、兼正と小林秀雄の娘明子の子である。
しばしば白州正子と誤記されるが白洲正子が正しい(が異なる)。
== 経歴 ==

* 1910年(明治43年)1月7日 - 東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)に父樺山愛輔と母・常子の次女として生まれる。祖父は樺山資紀海軍大将伯爵)、母方の祖父に川村純義(海軍大将、伯爵)。
* 1914年大正3年) - を習い始める。
* 1924年(大正13年) - 女性として初めて能楽堂の舞台へあがる。学習院女子部初等科修了。渡米しハートリッジ・スクールに入学。
* 1928年昭和3年) - ハートリッジ・スクール卒業。聖心語学校(現・聖心インターナショナルスクール)中退。
* 1929年(昭和4年) - 白洲次郎と結婚。
* 1942年(昭和17年) - 東京府南多摩郡鶴川村能ヶ谷(現・東京都町田市能ヶ谷)の古農家を購入。この頃から細川護立に古美術の手ほどきを受ける。
* 1943年(昭和18年) - 鶴川村へ転居。
* 1947年(昭和22年) - 華族令廃止。
* 1964年(昭和39年) - 随筆『能面』で第15回読売文学賞受賞。
* 1973年(昭和47年) - 随筆『かくれ里』で第24回読売文学賞。
* 1998年(平成10年) - 肺炎のため、入院先の都内の病院で死去。。
薩摩志士伯爵樺山家に生まれた自らの性質や、その出自を生涯を通じ強く意識(その事で夫次郎と口論となり張り手をしたこともあった)した。
幼少期より梅若流の能の舞台にあがり、に造詣が深く、青山二郎小林秀雄の薫陶を受け骨董を愛し、日本の美についての随筆を多く著す。梅原龍三郎や、晩年は護立の孫で元首相の細川護熙河合隼雄多田富雄等との交友もあった。また名人といわれた能楽師・友枝喜久夫の仕舞の会を自宅で開き、演芸研究者渡辺保も参加していた。
1980年代から1990年代にかけ、古典美に興味を持つ女性たちを中心に、カリスマ的存在となり文庫再刊も含め多くの著作が刊行され、没後も人気は高く著作が再編本・新版で出版され続けている。
墓所は夫次郎と共に兵庫県三田市の心月院。両人に戒名は無く、梵字が墓石に刻まれているだけである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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