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川村純義 : ミニ英和和英辞書
川村純義[かわむら すみよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [じゅん]
  1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

川村純義 : ウィキペディア日本語版
川村純義[かわむら すみよし]

川村 純義(かわむら すみよし、天保7年11月11日1836年12月18日) - 明治37年(1904年8月12日)は、日本武士薩摩藩士海軍軍人。階級は海軍大将栄典従一位勲一等伯爵鹿児島県出身。通称は与十郎。
== 経歴 ==
安政2年(1855年)に江戸幕府が新設した長崎海軍伝習所へ、薩摩藩より選抜されて入所。妻が西郷隆盛の母方の従妹にあたり、その縁もあって重用され、慶応4年(1868年)1月にはじまった戊辰戦争では薩摩藩4番隊長として各地、特に会津戦争に奮戦した。
戊辰戦争から薩摩に凱旋すると、門閥排斥の先頭に立った。純義は藩主島津忠義の面前で藩主の弟の島津久治を詰問し、結局久治は憂死している。
明治維新後は、明治政府の海軍整備に尽力、明治7年(1874年)には海軍ナンバー2である海軍大輔、海軍中将に任ぜられる。
西南戦争にあたっては、私学校党の火薬庫襲撃直後、鹿児島に入り、県令・大山綱良と会談、制止に努めたが、私学校党幹部による妨害もあって不首尾に終わり帰京する。そして、開戦すると山縣有朋とともに参軍(総司令官)として海軍を率い、海上からの軍員及び物資輸送、海上からの砲撃等により戦争の鎮定にあたった。
戦後、参議海軍卿に就任し、海軍整備を継続したが、山縣有朋と異なり政治の世界とは一線を画した。太政官制のもとでは枢要な地位を占めたが、内閣制度に移行と同時にその座を追われた。物事をはっきりと言いすぎる性格が災いしたとも言われる。その後枢密顧問官となる。
明治天皇からの信任が篤く、皇孫(後の昭和天皇)の養育を任じられ、死後海軍大将に昇進した。なお日本海軍で、戦死でなく死後大将に昇進したのは川村が唯一の例である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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