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大山綱良 : ミニ英和和英辞書
大山綱良[おおやま つなよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大山 : [たいざん, おおやま]
 【名詞】 1. great mountain 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [りょう]
 【名詞】 1. good 

大山綱良 : ウィキペディア日本語版
大山綱良[おおやま つなよし]

大山 綱良(おおやま つなよし、文政8年11月6日1825年12月15日) - 明治10年(1877年9月30日)は、日本武士薩摩藩士)、政治家
== 略歴 ==
文政8年(1825年)、樺山善助の次男として鹿児島に生まれる。幼名は熊次郎。
嘉永2年(1849年)12月26日に大山四郎助の婿養子となる。通称は正圓、角右衛門格之助。大山氏の本姓宇多源氏で、養子先の家伝では佐々木盛綱の子孫である康綱の後裔を称するが明確ではない。
西郷隆盛大久保利通らとともに精忠組に所属。島津久光の上洛に随行し、文久2年(1862年)の寺田屋事件では、奈良原喜八郎らとともに過激派藩士の粛清に加わり、事件の中心的役割を果たした。特に寺田屋2階には大山巌西郷従道三島通庸らがいたが、皆で説得を行った結果、投降させることに成功した。
明治元年(1868年)の戊辰戦争では、奥羽鎮撫総督府の下参謀になった(もう一人の下参謀は仙台藩に処刑された長州藩士、世良修蔵)。大山率いる新政府軍は庄内戦線において、庄内藩の反撃にあい連戦連敗を喫するが、戦後、新政府から賞典禄を受けた。
長州藩大楽源太郎が反乱を起こして敗走し、再起のために日田県庁を襲った時には新政府の命を受けて討伐軍の司令官として鹿児島から派遣されながら現地到着後に独断で軍解散を命じて木戸孝允らの怒りを買い、西郷隆盛が詫びる騒ぎとなっている。
新政府では廃藩置県後に鹿児島県の大参事、権令(県令)となる。だが、これは旧と新の関係を絶つために、新しい府県の幹部には他府県の出身者をもって充てるとした廃藩置県の原則に反する特例措置であった。大山は島津久光の意を受けて西郷らを批判した。
明治6年(1873年)に征韓論争から発展した政変で西郷らが新政府を辞職して鹿児島へ帰郷すると、私学校設立などを援助し西郷を助けた。その後、大山が県令を務める鹿児島県は新政府に租税を納めず、その一方で私学校党を県官吏に取り立てて、鹿児島県はあたかも独立国家の様相を呈した。明治10年(1877年)に鹿児島で西郷らが挙兵した西南戦争では官金を西郷軍に提供し、西郷軍の敗北後、その罪を問われて逮捕され東京へ送還、のち長崎で斬首された、享年53。
墓所は鹿児島県鹿児島市の南洲墓地。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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