翻訳と辞書
Words near each other
・ 登美ヶ丘北中学校
・ 登美ヶ丘駅
・ 登美丘町
・ 登美丘高校
・ 登美丘高等学校
・ 登美宮吉子
・ 登美宮吉子女王
・ 登美山霊山寺
・ 登美村
・ 登美毘古
登美直名
・ 登美能那賀須泥毘古
・ 登美藤津
・ 登能暉
・ 登臨
・ 登舷礼
・ 登良駅
・ 登花殿
・ 登茂山
・ 登茂山展望台


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

登美直名 : ミニ英和和英辞書
登美直名[とみ の ただな]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly
: [な]
 【名詞】 1. name 2. reputation 

登美直名 : ウィキペディア日本語版
登美直名[とみ の ただな]

登美 直名(とみ の ただな)は、平安時代前期の貴族真人用明天皇の後裔で、従五位下登美藤津の子。官位従五位下豊後権守

== 経歴 ==
弘仁13年(822年主膳監正に任ぜられる。淳和朝では美濃大掾近江大掾大和介と地方官を歴任し、この間の天長4年(827年)に従五位下叙爵している〔『日本後紀』天長4年正月21日条〕。
承和2年(835年大判事に転じたのち、承和9年(842年散位頭、承和11年(844年少納言と、仁明朝では京官を歴任する。承和12年(845年)直名自身が有力檀越であった法隆寺僧侶善愷から、寺財の不当売却とその利益押領を理由に訴えられる。弁官らの審理により当初遠流判決を受けるが、承和13年(846年)には右少弁伴善男の主張により訴訟は無効とされ、直名は無罪となった(善愷訴訟事件)。
直名は無罪となったもの、事件後間もない承和14年(847年)正月に大宰少弐として地方官に転任する。さらに嘉祥2年(849年)8月には豊後権守に転じ〔『続日本後紀』嘉祥2年8月20日条〕、同年12月には直名が謀反したとして大宰府より朝廷に対して報告がなされている〔『続日本後紀』嘉祥2年12月13日条〕。その後流罪となるが、嘉祥3年(850年)罪を赦され放免された〔『続日本後紀』嘉祥3年3月18日条〕。
仁寿3年(853年)6月10日卒去享年62。最終官位は前豊後権守従五位下。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「登美直名」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.