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渡辺幸庵 : ミニ英和和英辞書
渡辺幸庵[わたなべ こうあん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [へん]
 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances 
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 
: [いおり]
 【名詞】 1. hermitage 2. retreat 

渡辺幸庵 : ウィキペディア日本語版
渡辺幸庵[わたなべ こうあん]
渡辺 幸庵(わたなべ こうあん、天正10年(1582年) - 宝永8年(1711年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将は茂、通称は久三郎、は幸庵。柳生新陰流を修めた剣客ともいわれる。ただし、これらは事実と異なる可能性がある(後述)
== 生涯 ==
天正10年(1582年)、摂津国にて誕生。
はじめ徳川氏に仕えて駿河国に入り出仕。関ヶ原の戦いの際は徳川秀忠の下で大番頭を務め、以後、慶長18年(1613年)に伏見城番、元和5年(1618年)に駿府城番、寛永2年(1625年)に二条城番に当った。江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の代になり、その子・徳川忠長傅役に選ばれるも、寛永10年(1633年)に忠長が領地没収の上、切腹させられた後は浪人となった。
以後は幸庵と名乗り、諸国巡礼の旅に出て、中国・天竺・ベトナムタイを40年ほど放浪。帰国してさらに30年後の宝永6年(1709年)に加賀藩主・前田綱紀の元へ身を寄せ、旅の経験を加賀藩士・杉木義隣に『渡辺幸庵対話』という本にまとめさせる。その中で「島原の乱のおりは板倉重昌が討たれた現場にいてその遺骸を担いで逃げた」「ベトナムとタイの間には砂漠があり、風の力で進む舟で移動する」「ミイラ採りと出会った」などの証言を残している。また、本の中で上泉信綱と同世代で細川忠興の客人である竹村武蔵という剣客にふれる記述〔竹村武藏、上泉伊勢、中村與右衛門、此三人同代劔術の名人也。與右衛門、武藏が弟子也。武者修行す。伊勢ハ泉州堺の住人也。武者修行の時於信州卒。武藏ハ細川三齋に客分にて居候〕があり、柳生宗矩との比較として、「但馬(宗矩)にくらぶれば、碁にていえば井目(せいもく)も武蔵強し」と竹村武蔵の方が実力は上と評している〔柳生但馬守宗矩弟子にて、免許印可も取なり。竹村武藏といふ者あり。自己に劔術を練磨して名人也。但馬にくらへ候てハ、碁にて云バ井目も武藏強し。〕。
宝永8年(1711年)、130歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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