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深谷隆司 : ウィキペディア日本語版
深谷隆司[ふかや たかし]

深谷 隆司(ふかや たかし、1935年9月29日 - )は、日本政治家。TOKYO自民党政経塾塾長。
衆議院議員(9期)、郵政大臣第52代)、自治大臣第47代)・国家公安委員会委員長第57代)、通商産業大臣(第6465代)、自由民主党総務会長(第39代)等を歴任した。
== 来歴・人物 ==
東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に生まれ、のちに旧満州ハルピンへ一家で移住。第二次世界大戦敗戦後、日本へ引き揚げ、台東区立小学校内の引揚者住宅で育った。1954年、19歳で東京都立江北高等学校を卒業し、1956年に21歳で早稲田大学第二法学部法学科に入学する。1960年、早稲田大学第二法学部を卒業。1963年台東区議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。1965年、1期目の途中で台東区議を辞職。1969年東京都議会議員選挙に台東区選挙区から出馬し、当選。自由民主党に所属した。
1972年、都議会議員を辞職し、第33回衆議院議員総選挙保守無所属旧東京8区(定数3)から出馬し、当選(当選同期に小泉純一郎加藤紘一山崎拓石原慎太郎村岡兼造保岡興治瓦力三塚博越智通雄野田毅など)。のちに自民党に復党し、1976年第34回衆議院議員総選挙では自民党公認で再選をめざしたが、ロッキード事件のあおりを受け次点で落選した。1979年第35回衆議院議員総選挙では旧東京8区トップで返り咲きを果たす。1980年労働政務次官1982年総理府総務副長官に就任。1990年第2次海部内閣郵政大臣に任命され、初入閣した。
1993年細川内閣の成立により、自民党は1955年の結党以来、初めて野党に転落した。深谷は予算委員会筆頭理事に就任し、同じく予算委員会の理事に就任した野中広務と共に予算委員会で細川内閣を追及し、1994年5月23日の質疑では、創価学会名誉会長の池田大作ローマ法王に宛てた親書が、連立与党である公明党を通じ、首相の羽田孜イタリアを訪問した際に羽田によりバチカンに渡された疑惑を追及した。
1995年村山改造内閣自治大臣国家公安委員会委員長に就任し、2度目の入閣。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年第41回衆議院議員総選挙では、東京2区旧民主党鳩山邦夫に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活した。
1998年自由民主党総務会長に就任し、初めて党三役入りした。翌1999年、東京2区選出の鳩山邦夫が東京都知事選挙への出馬を表明し、衆議院議員を辞職。深谷は補欠選挙への出馬を模索するも、断念した(鳩山は石原慎太郎に敗れ、次点で落選した)。同年10月、小渕再改造内閣通商産業大臣に就任。2000年第42回衆議院議員総選挙では、東京2区で民主党中山義活に敗れ、比例復活もならず、現職閣僚でありながら落選した。そのため投票日の翌日からパリで開かれるOECDの閣僚理事会への出席を急遽取り止め、経済企画庁長官堺屋太一のみが出席した。2003年第43回衆議院議員総選挙でも落選。落選後、東洋大学大学院経済学研究科客員教授に就任。
2005年第44回衆議院議員総選挙の大きな争点の1つであった郵政民営化に関しては、自民党の郵政相経験者である野田聖子自見庄三郎八代英太らが反対を唱えて離党する中、早々に賛意を表明し東京2区から自民党公認で出馬。民主党の中山義活に比例復活すら許さない大差をつけて圧勝し、5年ぶりに国政へ復帰した。なお、自民党の内規では小選挙区で2回連続で敗退し比例復活も出来なかった候補者は公認を受けられないが、特例で立候補が認められた。
2007年第21回参議院議員通常選挙では、東京都選挙区から出馬した保坂三蔵の選挙対策本部長を務めるが、保坂は次点で落選した。2008年自由民主党総裁選挙では、石原伸晃の推薦人代表を務める(石原は5人中4位で落選)。
2009年第45回衆議院議員総選挙では東京2区で中山義活に敗れ、落選。なお自民党は73歳以上の候補者の比例区への重複立候補を認めていなかったため、比例復活も実現しなかった〔【速報】東京2区で自民・深谷氏が落選確実 産経新聞 2009年12月31日〕。
2012年6月22日、党公認の条件である支部長選任の年齢制限に抵触することから、次期総選挙には出馬せず、引退を表明した。深谷は「潮時だ。なすべきことをなした後は自ら身を引き、次の世代に渡すことが天の道だ」と述べた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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