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深浦康市 : ミニ英和和英辞書
深浦康市[ふかうら こういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うら]
 【名詞】 1. inlet 
: [し]
  1. (n-suf) city 

深浦康市 : ウィキペディア日本語版
深浦康市[ふかうら こういち]

深浦 康市(ふかうら こういち、1972年2月14日 - )は、将棋棋士。棋士番号201。長崎県佐世保市出身。花村元司九段門下。日本将棋連盟非常勤理事(2012年6月- )。
== 棋歴 ==
1984年に奨励会に入会。5級昇級に1年かかったがその後は順調に昇級・昇段し、1991年10月1日に19歳でプロデビュー(四段昇段)。デビュー直後から頭角を現し、1993年(1992年度)の全日本プロ将棋トーナメントにおいて、決勝五番勝負で米長邦雄を3-2で破って優勝。
1993年度、早指し新鋭戦で優勝。これにより、同年度の早指し将棋選手権への出場資格を得たが、こちらでも優勝(決勝の相手は羽生善治)。一つの年度にテレビ東京の両棋戦で通しの優勝を成し遂げたのは深浦だけである。
以上のように、四段でありながらの年間優勝3回という成績により、この年度の将棋大賞の新人賞と敢闘賞を同時受賞。五段昇段前にこうした実績を挙げていたため、当時、棋士仲間から「深浦君は、まだ四段なの?」と、からかい混じりに褒められていた〔NHK杯テレビ将棋トーナメントで司会の女流棋士が証言。〕。
タイトル初挑戦は、羽生善治に挑戦した 1996年の第37期王位戦である。しかし、1勝4敗でタイトル獲得はならなかった。このシリーズの第一局では、初手に端歩を突き(▲9六歩)、位取り中飛車に構える極めて珍しい作戦(5五龍中飛車)を採用して話題となった。また、フィアンセとその両親を対局場に招待するという、粋なところを見せた。
また、通算勝率7割以上を長く保っていた深浦であるが、順位戦ではデビュー以来C級2組のままで停滞していた。しかし、結婚直後の1997年度から2期連続昇級でB級2組に昇級する。しかし、B級2組の1年目では9勝1敗の成績を挙げながら、不運にも3年連続昇級を逸する。
1999年から2001年にかけて、早指し新鋭戦で3連覇を果たす。
2003年(2002年度)、準タイトル戦の第21回朝日オープン将棋選手権において、初代朝日選手権者の堀口一史座に挑戦し3-1で奪取して、2代目の朝日選手権者となる(翌年、羽生善治に奪取される)。
2007年、第48期王位戦で羽生善治に挑戦。11年前と同じタイトル戦で同じ顔合わせとなった。七番勝負はフルセットの熱戦となったが、4勝3敗で制し、35歳にして初タイトルとなる王位奪取に成功して、「九州にタイトルを持って帰る」という対局前の言葉を現実のものとした。九州出身棋士のタイトル獲得は、1984年の加藤一二三福岡県出身)以来23年振りで、奇しくも同じタイトル(王位)であった。七番勝負の中で、特に最終局(第7局、出だしは後手の羽生の中飛車)は、中盤から終盤にかけての攻防が非常に難解で、NHK BS2囲碁・将棋ジャーナルで解説をした佐藤康光は「歴史的な終盤の名局」と絶賛〔佐藤はさらに「こんなにすごい終盤は記憶にない。」「(2枚の金を1枚の角と交換し、その角を5三に打つ手順の詰みは)すごい手。なかなか見ない筋。奇跡的な詰みと言ってもよい。」と評している。〕。この対局は将棋世界2008年3月号の「プレイバック2007(プロ棋士が選ぶ2007年名局集ベスト10)」で第1位に輝き、第35回将棋大賞の名局賞を羽生とともに受賞した。
2008年、初のタイトル防衛戦〔ただし、タイトル戦以外では、朝日オープンで2004年(2003年度)の第22回に防衛戦の経験あり。〕となる第49期王位戦七番勝負で、リターンマッチを仕掛けてきた羽生をフルセットの末に破り〔羽生の挑戦を退けてタイトルを防衛したのは谷川浩司藤井猛佐藤康光森内俊之に続いて史上5人目。〕、2連覇。同時に準タイトル戦の朝日オープンを含めタイトル獲得3期の扱いとなり、規定により九段昇段を果たす〔日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「深浦康市王位、九段に昇段(2008年9月26日付) 」〕。
同年、第2回朝日杯将棋オープン戦で史上39人目となる通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。600勝達成時の勝率6割8分1厘は、羽生善治、大山康晴中原誠の3人の永世名人に次ぐ歴代4位の記録〔日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「深浦康市王位、600勝を達成 」〕であり、深浦の実力の高さを示している。
2009年(2008年度)、羽生に挑戦した第58期王将戦七番勝負では、第5局終了時点で3勝2敗とし初の二冠に王手をかけるとともに、羽生との対戦成績を26勝26敗のタイとした。しかし、第6局、第7局で連敗し、タイトル奪取はならなかった。
2009年、第50期王位戦七番勝負で木村一基の挑戦を受ける。最初の3局で3連敗して防衛失敗の瀬戸際に追い込まれ、負けられない状況となった。しかし、出身地の長崎県佐世保市で行われた第4局に勝利したのをきっかけに4連勝を返し、史上2度目〔渡辺明による史上初めての3連敗4連勝での防衛(竜王戦)からわずか9ヶ月後のことであった。〕となる3連敗4連勝での逆転防衛で、3連覇を果たした。深浦は防衛成功後のインタビュー〔インタビューは、2009年10月3日放送の「囲碁・将棋ジャーナル」で紹介された。〕では、「内容はひどかった。いかに地元での対局を戦うかということで、その辺りから集中できた。」と語った。
2010年度、第81期棋聖戦で羽生への挑戦権を得たものの、年度前半の勝率は4割台と不調。棋聖戦では(初めての五番勝負・1日制のタイトル戦)、3連敗のストレート負け。また、その直後の第51期王位戦で広瀬章人に2勝4敗(2千日手)で敗れ、3年ぶりに無冠となった。なお、この王位戦の第6局(最終局)は、第38回将棋大賞の名局賞に選ばれた〔日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「第38回将棋大賞が決まる! 」〕。
2011年度、佐藤天彦六段を破り、第82期棋聖戦で羽生への挑戦権を獲得するも、3連敗でタイトル奪取ならず。
2015年度開催の第23期銀河戦では決勝で佐藤天彦八段を破り、実に12年ぶりの一般棋戦優勝を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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