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池田章政 : ミニ英和和英辞書
池田章政[いけだ あきまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [しょう, あきら]
 【名詞】 1. (1) chapter 2. section 3. (2) medal 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

池田章政 : ウィキペディア日本語版
池田章政[いけだ あきまさ]

池田 章政(いけだ あきまさ、天保7年5月3日1836年6月16日) - 明治36年(1903年6月5日)は、備中国鴨方藩の第9代藩主。備前国岡山藩の第10代(最後の)藩主。岡山藩池田家宗家の第12代当主。栄典従一位勲一等侯爵麝香間祗候
肥後国人吉藩の第13代藩主相良頼之の次男。正室は戸田氏正の娘鑑子。子は池田政保(長男)、池田詮政(次男)。備前守侍従左近衛権少将幼名は満次郎。鴨方藩主時代の名乗りは池田 政詮(いけだ まさのり)。
頼之の祖父の相良長寛は岡山藩の第4代藩主池田宗政と正室(宝源院・黒田継高の長女)の次男であり、章政は宗政の男系の玄孫にあたることから、鴨方藩池田家、のちには岡山藩池田家宗家の養子に迎えられることになった。
== 生涯 ==
弘化4年(1847年)3月5日、鴨方藩の第8代藩主池田政善末期養子となるため、人吉から江戸に入る。同年3月下旬、江戸の人吉藩邸から鴨方藩邸に移る。同年7月、鴨方藩主池田政善の末期養子として家督を相続した。嘉永2年(1849年)12月、従五位下内匠頭に叙任する。後に信濃守に改める。幕末の動乱期の中では尊皇攘夷派として行動し、藩内における尊皇攘夷派からの信望もあった。
慶応4年(1868年)3月15日、章政は宗藩の岡山藩主を継いだ。先代藩主の茂政が新政府からの実兄徳川慶喜の追討の命令を受け、隠居したためである。鴨方藩主は章政の長男の政保が継いだ。そして章政は戊辰戦争においては新政府軍に与して藩軍を関東奥羽函館にまで送った。明治2年(1869年)の版籍奉還により藩知事となる。明治4年(1871年)、廃藩置県により免官となり、東京へ移った。明治36年(1903年)、従一位となったが、同年6月5日に68歳で死去した。法名は珠国院殿琢堂勳記大居士。墓所は岡山県岡山市中区円山の曹源寺家督は次男の詮政が相続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池田章政」の詳細全文を読む




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