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柴橋氏 : ミニ英和和英辞書
柴橋氏[しばはしし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しば]
 【名詞】 1. brushwood 2. firewood 
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

柴橋氏 : ウィキペディア日本語版
柴橋氏[しばはしし]

柴橋氏(しばはしし)は、日本の氏族の一つ。大江氏の支流である寒河江大江氏(寒河江氏)の一族である。居城は柴橋楯(現在の山形県寒河江市柴橋)。



== 概要 ==

柴橋氏は南北朝時代の寒河江氏当主大江元政の弟大江懐広を初代とし、柴橋楯(寒河江市柴橋)を居城とした。柴橋は長岡山の西方約1キロメートルに位置し、楯は比高差約7メートルの最上川河岸段丘上にある。平安時代に栄えた落衣(寒河江市落衣)とは塩水・内の袋の湿地帯を挟んだ対岸に位置した。
南下すると、高松楯(末弟大江顕広が治めた)・最上川牛前河岸の渡しを経て平塩(寒河江市平塩)へ至り、北上すると鹿島神社(慈恩寺の南の結界)の門前町鹿島へ至る地点であった。
懐広は元政と共に南朝側として戦い討死したという。子の直于もまた、応安元年/正平23年(1368年漆川の戦いで一族60数名と共に自害している。その後橋間氏を名乗るようになり、最後の当主は出羽吉川氏大江元綱の三男頼綱が入り橋間勘十郎頼綱(羽柴頼綱)を名乗った。頼綱は寒河江氏17代寒河江兼広執政を務め、男子のなかった兼広死後、兄である高基を兼広の女婿とし18代とした。最上義光と寒河江兼広の間には最上義康を後継とする約定があったため義光は怒り、両家には確執が生じることになる。天正11年(1583年)最上義光が庄内武藤氏征伐に向かうと、寒河江高基は武藤氏救援の軍を自ら率いるも、救援到着前に武藤義氏は自刃。天正12年(1584年)、姻戚関係であった谷地城白鳥十郎が誘殺され、最上氏が谷地城を攻めると柴橋頼綱が救援に向かった。しかし、救援の甲斐なく谷地城が落ちると最上氏寒河江攻略の軍を寄せ、柴橋頼綱は白鳥氏旧臣を糾合して最上川を越え中野(山形市中野)まで攻め込むが、鉄砲隊の伏兵に遭い落命した。
初期は柴橋氏を名乗るが、数代を経て橋間氏に代わり、最後の当主柴橋頼綱は羽柴と併記される系図も見える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「柴橋氏」の詳細全文を読む




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