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東西遊記 : ミニ英和和英辞書
東西遊記[せいゆうき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東西 : [とうざい]
 【名詞】 1. (1) East and West 2. (2) whole country 3. (3) Orient and Occident 4. (4) Your attention, please! 
西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
西遊 : [せいゆう]
  1. (n,vs) westward trip 2. trip to the West
西遊記 : [せいゆうき, さいゆうき]
 【名詞】 1. Monkey 2. Journey to the West (classic of Chinese literature)
: [き]
 (n,n-suf) chronicle

東西遊記 : ウィキペディア日本語版
東西遊記[せいゆうき]

江戸時代後期の儒医である橘南谿日本の諸地方を巡遊し、現地で見聞した奇事異聞を基に編纂して出板した紀行、『西遊記(せいゆうき〔「西遊記」の読みは厳密には不明であるが、『西遊記』中に数箇所「西遊」という語があり、そこには「セイユウ」の仮名が振られているため、本書の読みも「せいゆうき」であると思われる(日本庶民生活史料集成所収、鈴木棠三「東西遊記 解題」)。〕)』と『東遊記(とうゆうき)』を併せて東西遊記と称す(以下、両書を併称する場合は「両遊記」と記す)。
両遊記は南谿が天明2年(1782年)から同8年までに断続して日本各地を巡歴した際の記録を編述したもので、寛政7年(1795年)から同10年にかけて出板され、また板本以外に自筆稿本やその写本も現存しており、板行以前から両遊記は併せて「東西遊記」や「西東遊記(せいとうゆうき)」と称されていた〔松本愚山『東遊記』序文、伴蒿蹊『西遊記』序文。〕。なお、細かく見ると『西遊記』、『西遊記続編』、『東遊記』、『東遊記後編』となるが、前2者を併せて『西遊記』と、後2者を併せて『東遊記』と称するのが一般的である(以下、区別する際には「『西遊記』(正編)」「『西遊記続編』」等と記す)。また、南谿自身は板行された両遊記を後に『東西遊記』として統合する意図を有していたという〔鈴木前掲「解題」。〕。
医家である南谿は『傷寒論』に関するもの等複数の医書も著しているが、本両遊記や随筆である『北窓瑣談』といった文人としての著作もあり、『北窓瑣談』は当代の名随筆と評され、両遊記も江戸時代後期を通じてたびたび版を重ねる等、むしろ本業よりも後者としての活動の方が著名であったと言え〔宗政五十緒「東西遊記 解説」(東洋文庫本『東西遊記 1』所収)。〕、とりわけ両遊記は延宝期から元禄期(17世紀後期)に著された貝原益軒による一連の紀行と並んで江戸時代を代表する紀行とされる〔板坂『江戸の紀行文』、同「貝原益軒『東路記』『己巳紀行』と江戸前期の紀行文学」(新日本古典文学大系『東路記・己巳紀行・西遊記』解説)等。〕。
== 構成・文体 ==
京を中心に『西遊記』は南西日本(西日本)の記述、『東遊記』は北東日本(東日本)の記述が主となっている。紀行一般に見られる旅程に従って見聞を記すといった体裁を採らず、共通する主題は1章にまとめてそれらを旅程と無関係に配置する体裁を採る。
巡遊の見聞を主とすることから現代では紀行に分類されるが、板本両遊記は表題が『諸国奇談 東遊記』等となっており、また板本の大きさが書籍の分類によっておおよそ定められていた当時にあって紀行一般が大本(おおほん)形式(現代のA4版にほぼ等しい大きさ)で出板されたのに対し、それよりも小振りで読本一般の半紙本形式(半紙を二つ折りにした縦24センチ横18センチ前後の大きさ)なので、それらの点から紀行よりも読本の一様式である各地の珍しい話を集めた奇談集として板行され、読者にもそのように受容されていたようで、これは出板当時にそうした奇談集が人気を博していたために、書肆はもちろん南谿自身も奇談集として読まれることを意図したものと考えられる〔板坂『江戸の紀行文』第6章。〕。例えば、『西遊記続編』に収載(巻之三)された「陽気」は、山中での夜間の旅の心細さを解消するために勝手に山焼きを行ったという、山林関係者ならずとも激怒恐慌させる内容となっているが、これなどは南谿が自身を主人公として創作した「奇談」ではないかとさえ疑われ〔、両遊記中には同様の疑いを起こさせる記述が散見されるので、紀行として旅先における観察を忠実に報告するよりも、むしろ読み物として読者の興味をそそる点を優先したであろう意識がうかがえ、そのことが両遊記が広く読まれることにあずかったものと思われる〔。なお、両遊記板行以前から奇談集の中には著者が旅先での体験を語るという自身を主人公に見立てた体裁のものが存し、内容の真偽はともかくとしてそうした叙述は紀行との区別をつけかねるものであった。その傾向は、両遊記の刊行によって更に強まったようである〔。
また、旅程とは無関係に配置する体裁を採った結果として、江戸時代前期におぼろげながらも存在したと思われる林羅山を中心とした名所記地誌と相関する紀行の制作者集団によって創出された、著者が自身の移動を1本の線として捉えて日付を追いつつ見聞や感慨を記述した従来の紀行とは異なる、日本の国土を面として俯瞰し把握する観点を基本とした新しい地誌的紀行の流れを汲んだものとも評価できるが〔板坂前掲『江戸の紀行文』第2章、同新日本古典文学大系本解説。〕、旅程と無関係に主題ごとに配置する体裁は先行する百井塘雨の『笈埃随筆』も同様であり、そこに塘雨の影響もうかがえる(後述)〔〔。とはいえ、塘雨よりもさらに各章が一箇の短編として印象的にまとめられ〔、しかも本業に関する医術にまつわる話からたわいもない話、教訓話といったさまざまな話題を平明で知的かつ合理的な文章で綴り、さらにそれらを絶妙に配分している点に特色を持つ〔。またその文章は、内容が本業である所の医業に直接関係しない「奇事異聞」を記すものであったために、特に改まる必要もなかった結果として平明なものになったと思われるが、その平明さが功を奏し、かえって読者層を広げ板行を重ねる要因になったものとも思われる〔。
さらに本文と共に注目に値するのが『東遊記』(正編)の挿絵で、そこには円山応瑞同応受兄弟、山口素絢渡辺南岳福居竹堂長沢蘆雪吉村蘭洲同孝敬父子・松村月渓(呉春)東東洋浅井義篤村上東洲といった当代の名だたる絵師のものが施されている〔。また、『東遊記後編』や『西遊記』(正・続編)にも挿絵があり、それらの絵師は不詳であるが、『西遊記続編』については、明徴を欠くものの速水春暁斎である可能性がある〔宗政五十緒「板本『西遊記』挿絵一覧」(新日本古典文学大系『東路記・己巳紀行・西遊記』付録)。〕。なお、全編を通してそれらの画題は、本文の情景を絵師が想像によって、または南谿自身による旅行中の素描を基にして描かれたものと思われる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東西遊記」の詳細全文を読む




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