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東芝サッカー部 : ミニ英和和英辞書
東芝サッカー部[とうしば]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東芝 : [とうしば]
 【名詞】 1. Toshiba (company) 
: [しば]
 【名詞】 1. lawn 2. sod 3. turf 
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

東芝サッカー部 ( リダイレクト:東芝堀川町サッカー部 ) : ウィキペディア日本語版
東芝堀川町サッカー部[とうしばほりかわちょうさっかーぶ]

東芝堀川町サッカー部(とうしばほりかわちょうサッカーぶ)は、かつて存在した日本サッカークラブ。東芝のサッカー部として1935年に創部した。神奈川県川崎市幸区堀川町の東芝川崎事業所〔JR川崎駅西口に置かれた事業所。2000年に閉鎖され、跡地にはラゾーナ川崎プラザが建設された。〕 に本拠地を置いていた。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)所属のコンサドーレ札幌の前身となったクラブである。
== 概要 ==
創部は1935年と古いが本格的な強化が始まるのは1970年代後半以降となる。1977年に全国社会人サッカー選手権大会優勝。翌1978年に日本サッカーリーグ(JSL)2部昇格、1979年には優勝を果たしJSL1部との入替戦に挑戦するが日産自動車サッカー部に敗れ昇格は果たす事は出来なかった。当時の選手には中村道明(永大産業サッカー部等に所属)がいた。
1980年に「東芝サッカー部」と改称。1981年に大西忠生〔元三菱重工業サッカー部所属。後にセレッソ大阪ザスパ草津のフロントとして尽力した。〕 を監督に迎え、同年にJSLカップ優勝、1982年度にはリーグ2位となり再び入替戦に挑戦するが本田技研に敗れ今回も1部昇格を果たす事は出来なかった〔当時の選手には川勝良一石崎信弘大石和孝らがいる。〕。1987年に高橋武夫古河電気工業サッカー部、東芝等に所属。後にコンサドーレ札幌初代監督を務めた。〕 が監督に就任、1989年に念願の1部昇格を果たした。
1990年代初頭にはウルグアイ代表ウーゴ・デレオンペドロ・ペデルッチや実力派日本人選手の向島建堀孝史らを擁し、昇格2年目の1990-91シーズンとJSL最後のシーズンとなった翌1991-92シーズンに2シーズン連続で4位に入る成績を収めた。
しかし同サッカー部はJリーグ参加へ名乗りを挙げなかった為、1992年からは実質的な下部リーグであるジャパンフットボールリーグ(旧JFL)への参加となった。1993年度にホルヘ・ルイス・デリー・バルデスの活躍もあってJFLで3位となったものの、Jリーグでのプレーを希望する選手の流出もあってJFLでは中堅クラブの位置に留まっていた。
その後、1990年代半ばに北海道でのプロサッカークラブ誘致活動を受けると、これを承諾。1996年に新しく運営会社「株式会社北海道フットボールクラブ」が設立され〔この際に東芝は資本参加は行わず、サッカー部だけの移転となった。ただ、このシーズンのJFL公式プログラムや一部のマスコミ(前期のみ)では「東芝サッカー部」と表記される件があった。またこの年のJFLは本来本拠地とする札幌厚別公園競技場が改修と積雪による休館期間であったため、序盤の2試合を平塚競技場町田市立陸上競技場で開催した〕、「コンサドーレ札幌」と改称された。ただし、コンサドーレ札幌には東芝の社員選手も何人か在籍することになった。
ユニフォームは当初は上下赤の物を着用していたが、当時チームに在籍していた石崎信弘の発案で、1990-91シーズンから石崎が好きなACミランにあやかり、赤と黒のストライプの物を着用する様になった〔日本経済新聞 2007年7月2日夕刊「駆ける魂」〕〔J'sGOALニュース |【2009シーズン始動!】 J's GOAL〕〔〕。これはコンサドーレ札幌となった現在も受け継がれている。
なお、東芝は現在、サッカー部のお膝元であった川崎市を本拠地とするJリーグ ディビジョン1川崎フロンターレの協賛スポンサーとして、ピッチ看板を提供している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東芝堀川町サッカー部」の詳細全文を読む




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