翻訳と辞書
Words near each other
・ 東海軍管区 (日本軍)
・ 東海軒
・ 東海輸送
・ 東海辰弥
・ 東海農政局
・ 東海近畿地蔵霊場
・ 東海逓信病院
・ 東海通
・ 東海通駅
・ 東海連盟
東海遊侠伝
・ 東海運
・ 東海道
・ 東海道 (中華民国)
・ 東海道 (曖昧さ回避)
・ 東海道お化け道中
・ 東海道かわさき宿交流館
・ 東海道の一里塚一覧
・ 東海道メガロポリス
・ 東海道・山陽新幹線


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

東海遊侠伝 : ミニ英和和英辞書
東海遊侠伝[とうかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東海 : [とうかい]
 【名詞】 1. region south of Tokyo on Pacific Ocean side of Japan 2. eastern sea 
遊侠 : [ゆうきょう]
 (n) chivalrous person
: [きゃん]
  1. (adj-na,n) tomboy 2. bobby soxer 3. flapper
: [でん, てん, つたえ]
 【名詞】 1. legend 2. tradition 3. life 4. biography 5. comment 6. communication

東海遊侠伝 : ウィキペディア日本語版
東海遊侠伝[とうかい]

東海遊侠伝』(とうかいゆうきょうでん)は、清水次郎長を主人公とする山本鉄眉こと山本五郎による伝記である〔''東海遊侠伝''国立国会図書館、2015年7月17日閲覧。〕〔''900130''近代デジタルライブラリー、2015年7月17日閲覧。〕〔山本, p.181.〕〔天田愚庵 コトバンク、2015年7月17日閲覧。〕。最初に書かれた次郎長の物語であるとされる〔〔清水次郎長 、コトバンク、2015年7月17日閲覧。〕。1884年(明治17年)4月発行〔〔、旧字体表記『東海遊俠傳』、初版の題名は『東海遊俠傳 一名次郎長物語』(とうかいゆうきょうでん いちめいじろちょうものがたり)である〔。
1964年(昭和39年)公開の日活の映画『東海遊侠伝』は瀬戸口寅雄の小説を原作とした現代ものであり、同書とは関係がない〔東海遊侠伝 日活、2015年7月17日閲覧。〕。
== 概要 ==
著者の山本鉄眉、山本五郎は天田愚庵(1854年 - 1904年)として知られ、天田が師事した山岡鉄舟の紹介で1881年(明治14年)に清水次郎長(1820年 - 1893年)の養子になった人物である〔。1884年(明治17年)2月、次郎長が収監された際に、嘆願書として同年4月に出版したのが同書である〔〔〔。その目的上、次郎長の功績への称賛するに終始した内容であるとされる〔。初版奥付によれば、1883年(明治16年)11月21日が版権免許日になっており、それ以前に執筆がなされたものであり、著者として「静岡縣平民 山本五郎」の名がクレジットされている〔。天田は、同書を上梓した4か月後の同年8月、次郎長はまだ収監されたままであるにも関わらず、突然養子縁組を解消して出家した〔。この出家の時期を『日本人名大辞典』(講談社)は「明治20年」(1887年)とする〔。
次郎長の生前に出版された同書は、天田が本人に取材した聞き書きであり〔今川, p.178-181.〕、講談浪曲あるいはそれを原作とした映画等で知られる次郎長一家の物語とは、内容が微妙に異なる。たとえば「清水二十八人衆」に数えられる「追分三五郎」は、講釈師三代目神田伯山(1872年 - 1932年)が創作した架空の人物であり、同書には登場しない〔池内, p.84.〕。また、実在の人物である法印大五郎(伊藤甚左衛門、1840年 - 1919年)が、慶応2年4月8日(1866年5月22日)に伊勢国荒神山(現在の鈴鹿市高塚町観音寺)で勃発した「荒神山の喧嘩」で、吉良の仁吉(太田仁吉、1839年 - 1866年)とともに死んだとされている等、史実とも異なる点が散見される〔。今川徳三は、この相違点の理由として、天田が取材した時点では荒神山から20年近くが経っており、また次郎長が直接見聞したわけでもない件であるため、としている〔。同書が発行された9年後に当たる1893年(明治26年)6月12日に次郎長は満73歳で死去した〔。
同書は、三代目神田伯山に影響を与え、1907年(明治40年)5月に発表した講談『名も高き富士の山本』は同書に取材し、創作を加えたものである〔〔神田伯山(3代目) 、コトバンク、2015年7月17日閲覧。〕。同作は三代目伯山の当たり芸になり、傑出した代表作であるとされる〔〔。その三代目伯山のもとに通い、稽古に努めた浪曲師二代目広沢虎造(1899年 - 1964年)が練り上げた浪曲『清水次郎長伝』が次郎長の名を不動のものとした〔〔。『清水次郎長伝』を得意とした浪曲師には、ほかに初代玉川勝太郎(1881年 - 1926年)がいる〔玉川勝太郎(1代目) 、コトバンク、2015年7月17日閲覧。〕。
マキノ雅弘(1908年 - 1993年)が監督した映画シリーズ『次郎長三国志』(東宝・1952年 - 1954年、東映・1963年 - 1965年)は、1952年(昭和27年)6月号から1954年(昭和29年)4月号まで『オール讀物』誌上に連載された村上元三の同名の長編歴史小説を原作としているが、同作は講談・浪曲をベースにしている〔次郎長三国志 、コトバンク、2015年7月17日閲覧。〕。『東海遊侠伝』あるいは「遊侠伝」をタイトルに使用する映画は多いが、天田の『東海遊侠伝』を直接原作とした劇場用映画テレビ映画は存在しない〔KINENOTE 検索結果、キネマ旬報、2015年7月17日閲覧。〕〔全文検索 検索結果、テレビドラマデータベース、2015年7月17日閲覧。〕。天田が天田愚庵の名で1894年(明治27年)に発表した『巡礼日記』は、『巡礼日記 次郎長外伝』の題で吉井勇が劇作、和田勉が演出して次郎長の最期を描いたテレビドラマとして、1958年(昭和33年)11月3日に放送されている〔巡礼日記 次郎長外伝 、テレビドラマデータベース、2015年7月17日閲覧。〕。
臼井隆一郎は「清水次郎長が東海一の遊侠として、国民的ヒーローとなるには天田五郎の『東海遊侠伝 一名次郎長物語』の存在が不可欠であった」と同書を評価する〔臼井, p.60.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東海遊侠伝」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.