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東京学士会院 : ミニ英和和英辞書
東京学士会院[とうきょうがくしかいいん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東京 : [とうきょう]
 【名詞】 1. Tokyo (current capital of Japan) 
: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学士 : [がくし]
 【名詞】 1. university graduate 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

東京学士会院 : ウィキペディア日本語版
東京学士会院[とうきょうがくしかいいん]

東京学士会院(とうきょうがくしかいいん)は、大日本帝国にかつて存在した官公庁の一つ。
== 概要 ==
東京学士会院は文部卿西郷従道の発案に基づき〔秋山勇造「東京学士会院と『東京学士会院雑誌』」『人文研究』151集、神奈川大学人文学会2003年12月24日、99頁。〕、1879年に設置された。その設置目的は、研究者による議論評論を通じ学術の発展を図ることとされていた〔東京学士会院規則第1条。〕。当時の日本には、森有礼が設立した明六社など、学者が集う団体が既に存在した。しかし、明治8年の「明六雑誌」の廃刊後、明六社には学者だけでなく官僚実業家らも参加していたため、親睦団体としての性格が強まり、名士の集うサロンと化していた〔。このような状況から、新たな学術団体たるナショナルアカデミーとして、明六社とは別の組織の新設が望まれていた〔。
1879年1月に設立され、同年4月には東京学士会院により「東京学士会院規則」が制定された。1890年に「東京学士会院規程」が勅令として公布されるなど、ナショナルアカデミーとして組織の充実が図られていった。会員にはそれぞれの学問分野を代表する学者が選任され、会議や講演の開催や『明六雑誌』の後継となる〔秋山勇造「東京学士会院と『東京学士会院雑誌』」『人文研究』151集、神奈川大学人文学会、2003年12月24日、101頁。〕『東京学士会院雑誌』の発刊等を通じ科学の啓蒙活動を行った。
文部省の所管する機関と位置づけられており、必要な経費等は文部省の予算より支出された〔東京学士会院規則第21条。〕。また、文部卿は、東京学士会院の会議に出席することが許されており、投票権はないものの討議への参加も認められていた〔東京学士会院規則第14条。〕〔東京学士会院規則第15条。〕。明治23年には会員の定数を増やした。
1906年に「帝国学士院規程」が勅令として公布された。これにともない、東京学士会院は帝国学士院に改組されることとなった。帝国学士院の発足に際して、東京学士会院の会員は、そのまま帝国学士院の会員として移行した〔帝国学士院規程第20条。〕。同様に、東京学士会院の客員も、帝国学士院の客員の資格を得た〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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