翻訳と辞書
Words near each other
・ 来島どっく
・ 来島グループ
・ 来島ダム
・ 来島ドック
・ 来島マーチス
・ 来島又兵衛
・ 来島吉清
・ 来島城
・ 来島大橋
・ 来島康親
来島恒喜
・ 来島政久
・ 来島村上氏
・ 来島海峡
・ 来島海峡SA
・ 来島海峡サービスエリア
・ 来島海峡大橋
・ 来島海峡展望館
・ 来島海峡海上交通センター
・ 来島海峡第一大橋


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

来島恒喜 : ミニ英和和英辞書
来島恒喜[くるしま つねき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [らい]
 【名詞】 1. since (last month) 2. for (10 days) 3. next (year) 
: [しま]
 【名詞】 1. island 

来島恒喜 : ウィキペディア日本語版
来島恒喜[くるしま つねき]

来島 恒喜(くるしま つねき、1860年1月31日安政6年12月30日) - 1889年(明治22年)10月18日)は、日本右翼活動家。筑前共愛公衆会玄洋社の社員。
== 生涯 ==

福岡藩士・来島又右衛門の二男として現在の福岡県福岡市に生まれる。高場乱興志塾に学び、堅志社十一学舎を経て、1879年(明治12年)4月、向陽義塾に加入する。1883年(明治16年)4月、上京し中江兆民に仏語を学んだ後、筑前共愛公衆会や、頭山満率いる玄洋社に参加する。一時、小笠原諸島に玄洋社の的野半介竹下篤次郎と渡り、同地に送られた朝鮮開化党金玉均と過ごし、朝鮮の政治改革について語り合った。
その後、大隈重信の条約改正案に反対し、玄洋社を退社。大隈を暗殺するべく、1889年(明治22年)10月18日、外務省からの帰路にあった大隈に、彼の乗る馬車ごと爆弾を投げつけ、右足切断の重傷を負わせた。来島は爆弾が炸裂すると同時に、短刀で喉を突き自害した。享年29。この事件によって大隈の条約改正案は破棄された。来島の死後、後の首相となる広田弘毅の父・徳平により、墓碑が作られた〔広田弘毅の記事を参照。〕。大隈襲撃には月成功太郎(広田弘毅の岳父)も計画に加わっていたが、老母、妻子を持つ月成の身を欺き、単独で決行した。
また、博多の玄洋社墓地(崇福寺)にも墓があるが、勝海舟によって谷中霊園にも墓が建てられた。同墓はその後、頭山満によって建て替えられたが、当初の墓石も傍に横たえて残されている。灯篭も勝の寄贈だが、。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「来島恒喜」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.