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李氏朝鮮時代 : ミニ英和和英辞書
李氏朝鮮時代[りしちょうせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
朝鮮 : [ちょうせん]
 【名詞】 1. Korea 
: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
時代 : [じだい]
  1. (n-t) period 2. epoch 3. era 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

李氏朝鮮時代 ( リダイレクト:李氏朝鮮 ) : ウィキペディア日本語版
李氏朝鮮[りしちょうせん]

李氏朝鮮(りしちょうせん、韓国語ハングル表記:이씨조선)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。李氏朝鮮は比較的古い表現であり、最近は朝鮮王朝と呼ぶことが多い。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる。
1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる〔
*池内宏『満鮮史研究 近世編』 中央公論美術出版
*山内弘一「朝鮮王朝の成立と両班支配体制」 武田幸男編集『朝鮮史』山川出版社
*室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』新潮新書
*岡田英弘宮脇淳子研究室『論証:李氏朝鮮の太祖李成桂は女直人(女真人)出身である 』〕)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年中国から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。中国の王朝が明からに変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。
1894年の日清戦争後に日本と清国との間で結ばれた下関条約は李氏朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と近代国家としての独立を形式的かつ実質的にもたらした。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。大韓帝国の国家主権は事実上、冊封体制下における清朝から日本へと影響を受ける主体が変化するものであった。1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅した。
== 国名 ==

高麗王位を簒奪して高麗王を称した太祖李成桂は即位するとすぐにに使節を送り、権知高麗国事としての地位を認められたが、洪武帝は王朝が交代したことで、国号を変更するよう命じた。これをうけた李成桂は、重臣達と共に国号変更を計画し、「朝鮮」と「和寧」の二つの候補を準備し、洪武帝に選んでもらった〔矢木毅「近世朝鮮時代の古朝鮮認識 (特集 東アジア史の中での韓國・朝鮮史) 」〕。「和寧」は李成桂の出身地の名〔当時は和寧府と呼称されていた。高麗時代の和州、後の永興府、現在は金野郡〕であったが〔、北元の本拠地カラコルムの別名でもあったので、洪武帝は、むかし前漢武帝にほろぼされた王朝(衛氏朝鮮)の名前であり、平壌付近の古名である「朝鮮」を選んだ。そして李成桂を権知朝鮮国事に封じたことにより、「朝鮮」は正式な国号となった。「和寧」が単に李成桂の出身地であるだけなのに対し、朝鮮はかつての衛氏朝鮮箕子朝鮮檀君朝鮮の正統性を継承する意味があったことから本命とされており、国号変更以前からそれを意識する儀式が行われていた〔。
日本や中国では朝鮮半島にかつて存在した朝鮮を国号に持つ王朝と区別する為に「李氏朝鮮」あるいは「李朝」と呼ぶことが多い。学術的には日本でも近年「朝鮮王朝」という呼び方が広まりつつある〔文部科学省は2002年の教科書検定において「李氏朝鮮」という呼称について「表記が不適切」という意見をつけた。意見をつけた理由を、日本における学術研究の成果を反映したため説明し、特に朝鮮史学界での呼び方にならったことを強調した。日本経済新聞2002年4月10日朝刊。朝鮮#脚注参照。〕が、この呼び名は広義には「朝鮮半島」の「王朝」という意味にも理解されるため李氏朝鮮だけを特定して指すには不適切だとする意見もある。
韓国では、「李氏朝鮮」「李朝」と言う名称は植民地史観に基づくものとされるため、国内では一般的に使用されていない。通常、李氏朝鮮が統治していた国は「朝鮮」、李氏朝鮮の王室は「朝鮮王朝」と呼ぶ。古代に存在した朝鮮の国号を持つ国は古朝鮮と呼び区別している。北朝鮮では政治的な忌避の所為で、「朝鮮王朝」の名が使用されていない、「李王朝」、「朝鮮封建王朝」と呼される。〔 - - ネナラ〕中国においては日本と同様「李朝」という用例が見られる。
当初より中国王朝の冊封国として建国された朝鮮だが、近代に入ると冊封体制からの離脱を指向する動きから大朝鮮国の国号も用いられた。また、李鴻章が編纂させた『通商章程成案彙編』には、古い太極旗が収録されているが、それには「大清国属高麗国旗」と書かれている〔〔通商約章成案彙編 -Google ブックス〕。1897年、国号を大韓帝国(だいかんていこく)と改称し、国王号を皇帝号に改めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「李氏朝鮮」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Joseon 」があります。




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