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杉浦忠 : ミニ英和和英辞書
杉浦忠[すぎうら ただし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すぎ]
 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 

杉浦忠 : ウィキペディア日本語版
杉浦忠[すぎうら ただし]

杉浦 忠(すぎうら ただし、1935年9月17日 - 2001年11月11日)は、愛知県出身のプロ野球選手・野球指導者・監督野球解説者。「史上最強のアンダースロー」「魅惑のアンダースロー」などと呼ばれた〔「南海ホークス栄光の歴史 1938-1988」ベースボールマガジン社 2012年〕〔野村克也「一流の条件 プロ野球 野村克也の目」朝日新聞社 1986年〕。
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
挙母高校(現在の豊田西高校)から立教大学へ入学。大学では同期の長嶋茂雄本屋敷錦吾と3人で「立教三羽ガラス」と呼ばれた。高校時代は無名の速球投手〔野球殿堂2012 The Baseball Hall of Fame 野球体育博物館(編集)ベースボールマガジン社 2012年〕。
1年春から登板があり〔、もともとオーバースロー投手であったが、大学2年の時にサイドスローアンダースローと呼ばれることなどもある)に転向した。杉浦自身は、転向の理由を「メガネ」としている(当時のメガネはガラスとセルロイドで重かった)。「上手投げ時代のフォームは上下動が激しかったので、投げるたびにずれて苦労していた」「それで、頭の位置を一定にさせるためにサイドスローがよいのではないかと思い、実際、やってみると見違えるようにコントロールが良くなった」「オーバースローで投げていたときの方が、ボールは速かったね。自分でいうのもおかしいが、滅茶苦茶に速かったと思う」と語っている〔〔。2年春閉幕後の「砂押排斥事件」の後、自主練習の期間があり、そのときにフォームを変えたもので、「砂押監督時代なら反対されてできなかったと思う」と述べている〔「日本プロ野球偉人伝5 1959-1964 「長嶋時代」の74人」ベースボールマガジン社 2013年〕。
東京六大学リーグ通算36勝(立教OBとして最多)12敗、防御率1.19、233奪三振、ベストナイン2回。勝利の大半を占める28勝は、フォーム変更後の2年間で挙げたものである。
春、秋季リーグ連覇に貢献し〔、秋の早大戦では森徹木次文夫らの強力打線を抑え、ノーヒットノーランを達成した。同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で興津達雄らのいた専大を降し優勝した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「杉浦忠」の詳細全文を読む




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