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本田技術研究所 : ミニ英和和英辞書
本田技術研究所[ほんだぎじゅつけんきゅうしょ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [わざ]
 【名詞】 1. art 2. technique 
技術 : [ぎじゅつ]
 【名詞】 1. art 2. craft 3. technique 4. technology 5. skill 
: [すべ]
 【名詞】 1. way 2. method 3. means
研究 : [けんきゅう]
  1. (n,vs) study 2. research 3. investigation 
研究所 : [けんきゅうしょ, けんきゅうじょ]
 【名詞】 1. research establishment (institute, laboratory, etc.) 
: [ところ, どころ]
 (suf) place

本田技術研究所 : ウィキペディア日本語版
本田技術研究所[ほんだぎじゅつけんきゅうしょ]

株式会社本田技術研究所(ほんだぎじゅつけんきゅうしょ、英語表記Honda R&D Co.,Ltd.)は、本田技研工業研究開発部門を分社化した企業である。本社は埼玉県和光市にあり、朝霞市栃木県芳賀郡芳賀町などに研究所を持っている。伝統的に、本田宗一郎以降の本田技研工業の社長は、研究所出身者から選ばれている。
==概要==
本田技術研究所は1960年設立。元々は藤沢武夫(当時本田技研工業専務)が「研究所を本社から分離することで、目先の業績に左右されない自由な研究環境が実現できるだけでなく、一般的な企業のピラミッド型組織と異なるフラットな組織の実現も容易に行え、研究員に対する待遇も改善できる」と考えたことがきっかけである。ただ設立準備段階では、当時の本田技研工業の業績が安定せず、しばしば工場において労働争議が発生していたことなどから、「労働組合の分断工作である」として社員から大きな反発を受けたと伝えられている。
また、本田技研工業から研究所に対して、売上高に応じた委託研究費が支払われるという点もユニークである。ちなみにその割合は、設立当初は売上高の2.5%となっていたが、2012年現在は5%をベースに積み増した額(約5,000億円程度)が支払われていると見られている〔【企業特集】ホンダ 二輪の成功モデルを四輪でも展開 国内生産を懸けた“聖域”の開発改革 - 週刊ダイヤモンド・2012年4月27日〕。
ここ近年、階層が増えピラミッド型組織に近づきつつあることを危惧し、フラットな文鎮型組織を目指し、2006年4月に、事業軸別に5つの開発センター体制に移行するとともに内部でも大きな組織変更が実行された。現場への大幅な権限委譲が図られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本田技術研究所」の詳細全文を読む




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