翻訳と辞書
Words near each other
・ 本庄漁港
・ 本庄漁港 (京都府)
・ 本庄為明
・ 本庄町
・ 本庄町 (埼玉県)
・ 本庄町 (神戸市)
・ 本庄町 (神戸市東灘区)
・ 本庄県土整備事務所
・ 本庄睦男
・ 本庄瞳
本庄秀綱
・ 本庄第一中学校
・ 本庄第一高等学校
・ 本庄篤子
・ 本庄簡易裁判所
・ 本庄繁
・ 本庄繁長
・ 本庄繁長の乱
・ 本庄藤三郎
・ 本庄藩


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

本庄秀綱 : ミニ英和和英辞書
本庄秀綱[ほんじょう ひでつな]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

本庄秀綱 : ウィキペディア日本語版
本庄秀綱[ほんじょう ひでつな]

本庄 秀綱(ほんじょう ひでつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。栃尾城主。
== 生涯 ==
越後国の武将・本庄実乃の子として生まれる。
父と共に上杉謙信に仕えた。父同様、謙信の信任は篤く、永禄2年(1559年)に謙信が室町幕府の第13代将軍足利義輝に謁見するため京都に向かった際には、太刀持ち役を務めた。また、元亀3年(1572年)には越中進軍中の謙信によって、城将として春日山城へ入城を命じられた。
天正2年(1575年)には上杉景信上条政繁らと共に、上野国沼田城城の守将を任せられるなど、関東方面での戦いでも活躍した。
謙信死後の上杉氏のお家騒動である御館の乱では、上杉景虎方につき、御館に在城していた秀綱は落城寸前に脱出。その後も三条城神余親綱らと共に上杉景勝に抵抗するが天正8年(1580年)4月22日に栃尾城が落城すると会津方面へ逃亡する。その後は佐々成政に仕えたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本庄秀綱」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.